The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

アメリカドラマとディズニーに見るダイバーシティ

娘たちがやっと暑苦しく女の友情と根性論を見せつけてくるプリキュアを卒業してくれてホッとしています。

 

ところで海外ドラマやディズニーチャンネルを見ていてひしひしと感じるのが、アメリカはすっかり白人の国ではなくなろうとしているのだな、ということ。

 

『キャッスル』というNYが舞台の刑事ドラマのとあるエピソードでは、ヒスパニック系のバックグラウンドを持つ刑事がスペイン語で展開されるヒスパニック系のメロドラマにはまっている様子が描かれているし、全米No.1ロングランドラマのNCIS最新シーズンで加わった新メンバーは2人ともいわゆるマイノリティ出身。

もっと言うと『Empire 成功の代償』なんかはヒップホップ音楽界が舞台でキャストはほとんどがアフリカ系。ただし視聴率的な成功という意味ではチャレンジに直面しているらしい。

news.livedoor.com

 

そしてヒスパニック系やアフリカ系などがハリウッドに食い込んで行っているのに対して、アジア系はまだまだ、というところ。

dramanavi.net

 

でもさすがアメリカというか、徐々にエンタメ界でもダイバーシティインクルージョンが進んでいるよという話題も。

kaigai-drama-board.com

 

この流れが子供向けの番組にもきっちりと反映されてきているなと感じるのがディズニー。 

ディズニープリンセスの最新シリーズ『アバローのプリンセス エレナ』はもろにメキシコ系。出てくる音楽や料理、衣装もことごとくメキシコ系で、アメリカ社会で存在感を増しているヒスパニックを意識してるんだろうなぁ。
(純ジャパニーズな子供たちには馴染みのないものがたくさん出てくるので、割と頻繁に「◯◯ってなあに?」となります。良い機会なのでメキシコ料理にチャレンジしたり、ヒスパニック系の文化を知るようなことをやってあげたい。)

 

新作映画でアナ雪を超えたと前評判の高い『モアナと伝説の海』はサモア系。体型も今までのプリンセスものに比べるとふっくら逞しく、健康的。

そもそもアナ雪も「ありのまま」を受け入れようとするという意味でダイバーシティを意識した作品でしたっけ。

 

 

アメリカは広大な田舎なのだけれど、建国の理念を愚直に議論して理想に近づけていく姿は本当に尊敬すべき点だなと思っていたのですが、トランプ大統領登場でどう変わっていくのかが気になります。

そのあたり、大統領選の結果が出る前までの流れを追いかけたこちらが、カジュアルながらも本質を捉えたレポートでとても参考になりました。町山節でサクッと読めちゃうので、通勤時間のお供などに是非。

さらば白人国家アメリカ

さらば白人国家アメリカ

 

 

タロットに聞く2017年③ 東京に住む私たちにとっての2017年(解説編)

以前、しいたけさんがホロスコープを読むのではなく、「自分が今まで会った牡羊座の人とか、牡牛座の人を自分に降ろします。そして「牡羊座の人が感じるように一致するまで」感じようとします」と書いていたのに衝撃を受けたのですが。

 

個人ではなく、特定の集団意識に波長をあわせてリーディングするってどういうことなのか非常に興味があって、無謀にもやってみました。 

 

最初は括りを設けず「2017年、世界は、日本は」的なことをやってみようかとも思ったのですが、マクロとミクロが入り乱れてフォーカスがぶれまくってしまい、ものすごくやりづらい。特定の星座や血液型への絞り込みも試みてみましたが、”◯◯な人の場合””△△という選択をした場合”というように枝分かれする要素が多すぎて、全体としてまとまった言葉に落とすのがとても難しい。
(改めて、スゴイなしいたけさん!!!!!)

 

そして落ち着いたのが「東京に住む”私たち”の2017年」。
敢えて属性を特定せず、自分を基準にしつつも私が属するクラスターや、友人や家族たちなどに徐々にフォーカスを拡げるイメージで個人→集団へと意識する波長を拡大しながらリーディングしてみました。

 

ヘキサグラム・スプレッドで読む「東京に住む私たちの2017年」、解説編です。
うまいこと言おうとしてるわけじゃないのですが、イメージが膨大なので言葉に落としたらすごく長くなってしまいました。(これでも半分くらいに削ってます。)

https://www.instagram.com/p/BOrq3jqlIF3/

①過去:ソードの6(正)(中上)
②現在:魔術師(正)(右下)
③近い将来:ワンドの4(正)(左下)
④対策:女帝(正)(中下)
⑤周囲の状況:教皇(正)(左上)
⑥自分の状況や願望:世界(正)(右上)
⑦最終結果:ソードのナイト(逆)(中央)

 

順番に読み解いてみましょう。

①過去:ソードの6(正)(中上)

暗闇の中、まだ陸地からそう離れていないのは気配でわかるものの、いつその気配が途切れて大海へと漕ぎ出してしまうか不安を抱えたままの航海。航海というほどの距離を行く覚悟はなく、陸伝いに少しずつ移動して行こうと、覚悟を決めきれないままとりあえず出発してしまったという焦り。不安でドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えこみ、密やかに闇に目を凝らす。
心では向かうべき方向が分かっているのに、大きく帆を張って漕ぎ出す勇気が出ない。
でもこのままコソコソと不安から逃げていることはできないということも分かっている。

ここから見えるのは、人々が内側に不安や不満、現状からどうやって逃げ出すか、どうやってよくすれば良いのかを胸の内に秘めたまま、静かに様子を伺っている、という情景です。中にはこの段階で見切り発車のように大海へと漕ぎ出して行った猛者もいますが、大半の人はその顛末を見届けてから漕ぎ出そうとその成り行きを見守っている、といった感じ。


②現在:魔術師(正)(右下)

派手な動きに目を奪われる、本質ではないかもしれないけれど大げさに宣伝される改革が目くらましになる、そんなことを心配したくなるカードです。
と同時に、種を明かしてやろうと目を光らせる人の存在や、自分こそが変革を起こす立場にあるのだと覚悟を決める人の存在も表しています。 

このカードが表すのは、そういった二面性 ーまやかしや誤魔化しが横行すると同時に、それを暴こうという努力が実り、また、真摯に変化を推進しようとする人にスポットライトが当たるー という、前向きだけれど混沌とした状況です。


③近い将来:ワンドの4(正)(左下)

まだ伝説に聞いたことのある理想郷のように遠く実態が掴めないけれど、着実に”開くべき扉”が目の前に現れます
その扉の向こうにあるものが何なのか、多くの人には具体的に想像することはできません。けれども扉の向こうの世界がより望ましい世界で、扉を開けずには先に進むことができないということは心の奥で知っています。
微かな実感があるのに根拠がないので、 思い切って扉を開ける人、それを見守る人、安全が確認されたら後に続こうとする人など、扉を前にして人々の態度は分かれます。


④対策:女帝(正)(中下)

ゆったりと王座に腰掛け、聡く人々の声に耳を傾け、見守り、信じて委ねる女帝の姿があります。
自ら行動すべき時と、人々の手に委ねたほうが良い時と、今がどちらのタイミングなのか、女帝はそれを見極めるべく静かに一人で考えを巡らせます。時に口出ししたくなったり、思いついたアイディアをすぐ実行に移したくなりますが、ぐっとこらえて、衝動ではなく熟考の末に行動すべきだと自らを戒めます。

そしてまたこれは、それぞれの能力や立場に応じて役割が与えられることも意味します。
扉を開く勇気と能力のある人は先陣を切って扉をこじ開け、向こう側の世界がどうなっているか、自分の体験を通して広く人々に知らせる役割を担います。扉の向こうの世界をロジカルに割り出そうと試みる人、扉の周囲を丁寧に観察して向こう側に行くべき根拠を打ち出そうとする人など、それぞれが扉を前に異なる役割を担っていくことになります。そして役割分担することを人々が受け入れ、より得意な人に任せる、自分自身も得意なことに集中するということを意味します。


⑤周囲の状況:教皇(正)(左上)

光に照らされた教皇、その影で噂話をする人々。この絵が示すように、噂話や一見オイシイ話に見える詐欺まがいの情報が浮かんでは消える様子が見えます。

Post-truthというキーワードが欧米メディアで盛んに使われていますが、”一見正しそうに見えるもの”、”正しいと信じたくなる情報”をしっかりと分析したその先にある”第三の選択肢”を見極める賢さが求められる。逆に言えばそれくらい事実と虚構が入り乱れた混沌とした状況が見て取れます。

その中で、”客観的に正しいこと”を選び取る力と同時に”なぜ自分がこれを選ぶのかという基準”を確立していく人も多いでしょう。「正しいから選ぶ」というだけでなく、「正しいけれど今は選ばない」とか、「みんなにとっての正解ではないけれど自分にとってより楽しそうだから選ぶ」という風に、事実を見極めた上で自分の判断軸で選び取っていく人が増えそうです。


⑥自分の状況や願望:世界(正)(右上)

通常は”世界が完成する”ことを意味すると同時に”個性を発揮することで成功につながる”という意味のあるカードです。
東京に住む私たちに当てはめて見てみると、”世界が閉じていくことを横目で眺めている様子”と、”より自分らしくありたいと願う気持ち”が読み取れます。そこにあるのは、新しい価値観への移行期にあって、個人個人が自分の中に矛盾と葛藤を抱え、密かにもがきながら前進しようとする姿です。

”世界が閉じていくことを横目で眺めている様子”というのはいくつかの要素で構成されています。一つが「本当に閉じてしまうのか」と変化を疑問視する気持ち。二つ目は変化がまだ緩やかであるが故に「まだ間に合う」と横目で眺めつつ、まず今は目の前にある日常をしっかり回すほうを優先させる余裕。そして三つ目が、起きている変化を慎重に見極めようとする冷静さです。

”より自分らしくありたいと願う気持ち”があるので、それぞれの人が元々持っている性質によってどの要素が強く出てくるかが変わってきます。そして、自分らしくありたいと強く思うことで、他者が自分らしくありたいと願う気持ちを理解することができるようになります。”共通の理想像を持つ”ことと似ていますが、お互いが違うスタンスで自分のあり方を模索することを、より多くの人が許容できるようになる暗示があります。


⑦最終結果:ソードのナイト(逆)(中央)

声の大きな人がとても目立つ1年になりそうです。一見、そういう人の発言や行動が大きな流れを作っているように見えますが、じっと目を凝らすと派手な動きのその奥に、緩やかだけどもっと着実な流れが見えます

そして、声の大きな人に扇動されて派手な動きも出てくるものの、その流れについていかない人、流されずに自分の信じることを着々と進める人が、来たるべき大きな変革の足場をしっかりと固めていく暗示があります。

同時に、これまでのカードで読み取ってきた通り、流れを利用して軽々と雲を飛び越えていく人、大声に怯んで身動きが取れなくなる人など、個々人の対応にはかなりの差が出そうです。

ただ、この差は一時的なもので、3年〜5年といったスパンで見たときには「そんなこともあったね」と笑って話せる些細なものです。大切なのは他人と比べて自分の行動を決めないこと。状況をしっかりと見極めて、自分のタイミングとペースで進むことです。

 

 

 

 

 

ふぅ、全部書くのに5日ほどかかってしまいました…
以上のようなリーディングをまとめた結果が、こちらのエントリーだったのでした。

 

私個人を占った結果はこっち。

 

一度やったら欲が出てきて、月毎の運勢も出してみたいなとか、仕事恋愛運みたいな分け方で見てみたいなとも思ってます。
ちょうど子供たちがインフルエンザにかかって今週は自宅軟禁確定なので、昼寝している隙にでもチャレンジしてみようかな。 

タロットに聞く2017年② 東京に住む私たちにとっての2017年

自分の2016年と2017年を占ったついでに、いつもと違ったチャレンジをしてみようと思い立って「東京に住む私たちにとっての2017年」という、個人としての私よりも拡大した集団としての私たちに焦点を当てたリーディングをやってみました。


ヘキサグラム・スプレッドで一年をリーディング。 

https://www.instagram.com/p/BOrq3jqlIF3/

理想についてのイメージを多くの人が共感とともに共有できるようになる

まず全体として、今まで心の中に秘めつつも声に出していなかった不安を、より多くの人と共感とともに共有できるようになる、実現したい世界やあり方についての共通のイメージをより多くの人が持つようになる、という社会の動きがありそうです。

メディアで取り上げられたり、政府によって示されるイメージに一気に共感するというのではなく、自分や身の回りの人が「これは私たちの目指す姿だ」と思えるような理想像を持ち、恐る恐る周囲の人とそれを共有するうちに大きな共通項としての理想像が出来上がっていく。
そんなイメージです。

 

面白いのは、この”共通項としての理想像”は一つのイメージだけで固まっているのではなく、たくさんの違った理想像の寄せ集めであるにもかかわらず、俯瞰してみると一定の方向性なり軸なりを持っているという点です。
2016年はダイバーシティ大流行りでしたが、これがみんなの共通の理想像にも反映されるということかもしれません。
お互いの理想をそっと共有してみると、「それもいいね」と案外すんなりと受け入れてもらえる。それを繰り返すうちに許容しあえる領域が広がっていくという、寛容のうねりが起こりそうです。

 

一方で理想への道のりはまだ遠い

多くの人が共通した理想をイメージできるようになると同時に、人々を混乱させるような噂話や根拠のない情報も後を絶ちません。2016年から続く傾向ですが、こうした情報は悩みの中にいる人、意地を張っている人にとっては、本当に向き合いたい問題から目を背けさせ、定まりつつある舵の方向を引き戻すネガティブな作用をもたらします。

また、こうした情報を意図的に利用して変化を遅らせようとする動きも出てくるでしょう。私たちは常に賢くあろうと注意深く観察し、まやかしや目くらましに、より一層注意を払う必要があります。

それでもデマや誤った情報によって、大きく舵を切ろうとする力が一時的に逆方向に引っ張られてしまったり、スピードダウンを余儀なくされるという場面が多々ありそうです。

 

目を凝らし、夜明けを待つ

多くの人にとって、頭を上げ、前を見続ける覚悟と勇気が試される一年になりそうです。恐ろしげな動物の鳴き声が聞こえ、強い風に砂が煽られて飛んでくる中、目を凝らして夜が明けるのをじっと待つような忍耐力が必要です。

決してラクな状況ではありませんが、確実に夜が明け、新しい朝がやってくるのが分かっているからこそ、その夜明けを見逃したくないという気持ちから、人々は薄闇に目を凝らすのです。

チャレンジングな状況の中でも勇気と好奇心から闇に目を凝らすのは、多くの人が”世界が変化している”という実感を持ちはじめるからかもしれません。2016年の後半からこのような変化を自分のこととして捉え、体感しているという人も多いのではないでしょうか。

 
「世界が閉じていく感覚」と「新しい世界への期待と抵抗」

理想のイメージが共有されていくにつれ、今自分たちが生きている世界が閉じていくことが実感できるようになってきそうです。それは新しい世界の始まりでもあるのですが、文字通り世界観が変わるような価値観の転換がやってきます。

この価値観の転換をワクワクした気分で受け入れて積極的に飛び込んでいく人と、今の価値観にも大きな意味を置いているので変化に対して慎重になる人とに分かれそう。この分断は一時的なものではありますが、双方に「なぜ一緒についてきてくれないんだろう」「なんで今を否定されなくてはいけないんだろう」という、同じペースで歩み続けることができない寂しさを感じさせるものにはなりそうです。

新しい価値観への転換に躊躇する人の多くも、その転換が避けられないものであるということは心のどこかで感じているようです。なので積極派と慎重派の間の分断は一時的なもので、もっとずっと心の奥では大切なつながりを維持することができそうです。

 

それぞれに得意なことにフォーカスし、相手を尊重してエールを送る

今年一年に限定してみると、一つ前のポイントで挙げたように、積極的に変化に飛び込もうとする人と、様子を見てから進もうとする人、そして変化を受け入れるまでに時間がかかる人に分かれそうです。それぞれの進むペースは違うのでお互い遠くに離れるような感覚を覚えるかもしれませんが、3年や5年といったスパンで見ると距離の差は縮まっていきます。
なので今年一年で大切なのは、ペースの違う相手を慮りすぎて自分のペースが乱れるよりも、しっかりと自分のペースを見極めて前を見て進む、ということです。つまり、空気を読みすぎないことがとても大切になりそうです。

言い換えると、今年一年は立場や能力の違う人たちが、それぞれの得意なことを自分の役割と定めて進む年です。そして大切なのは、お互いに得意なことが違うのだということを認識した上で、自分を卑下することなく、それぞれの得意分野で能力を発揮する人を積極的に応援するということです。

今年一年に対する対策のカードに「女帝」が出ています。
人々の声に耳を傾け、じっと一人で考える。
見守り、信じて、委ねる。

立場を超えてお互いを尊重し、素直に相手を応援する気持ちになれる気配がするというのが、今年一年の最大の希望となりそうです。

 

 

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さてさて。いかがでしたか?

初めてのチャレンジだったので出来事を予測するというより、より得意とする”私たちの感情の変化”にフォーカスして読んでみました。
言葉に落とし込み切れていないもの、上手な表現を見つけられなかったこともたくさんありますが、今の私にしては頑張りました。抽象的すぎるかなぁと思いつつも、個人ではなく不特定多数に当てはめようとするとなかなか具体的な言葉に落とすのは難しい。

今回リーディングした”感情のうねり”から逆算するように、毎月のテーマや出来事に落とし込むようなリーディングもしてみたら面白そう。余裕ができたらチャレンジしてみたいと思います。

 

 

解説編に続きます。

thesparetimes.hatenablog.com

 

タロットに聞く2017年① 私にとっての2016年、そして2017年

あけましておめでとうございます。

 

2016年はどんな年でしたか?
2017年はどんな年にしたいですか?

 

潮目が変わる時期に来ていることをひしひしと感じている今のタイミングで、私にとっての去年と今年をタロットで占ってみました。
自分を占う時は、願望や妄想が特に入り込みやすくリーディングしづらいので、敢えて他人を占うように言葉に落とすように心がけてます。

 

まずは2016年、私にとってどんな年だった?

https://www.instagram.com/p/BOrqdNHlMFw/

まず出たのはソードのペイジ(逆)。
テーマは”葛藤”。
自分の中の見たくないところ、隠していた部分と緊張感を持って向き合うというテーマの一年でした。
そして、自分が今まで意地になって頑張ってきたことに対して力を緩めることを許す、譲れない価値観として自分の中に持っていた軸がぶれることを許す、そんな変化があった年。
外側からは分からない、内面の葛藤をたくさん経験したのではないでしょうか。
そして怠惰なまでに色々なことを放棄してひたすら休み、そのこと自体を自分に許した一年でした。
窓の向こうにいる”まっとう”に見える人たひが着々と前進していくのを尻目に、身動きが取れないようなもどかしさを覚えつつも、敢えて闇に身をひそめることに終始した2016年中盤を暗示するかのようなカード。

 

そしてソードのクイーン(正)。
抱えていた葛藤は、終わりに近づいています。
十分に休んだし、考えもクリアになってきた。
座りっぱなしで、お尻や腰もちょっと痛いでしょ。立ち上がりたくて足がムズムズしてるでしょ。
あなたを求めている人もいます。
そろそろ動き出す時が近づいているようです。動き出す時は女王のように優雅に、あくせくせず、Gracefulがキーワード。

 

最後に月(正)。
2016年、強いて言うなら休むことに重きを置きすぎて、”自分を楽しむ”こと、家族でも友人でも職場の同僚でもなく、自分”だけ”のために楽しいと思える時間を過ごすことは後回しになっていました。もっともっと「べき」「ねば」を取り払って、自分が楽しいと思う方向に振り切ってみて。
もう一つ、価値観や軸の転換を迎えつつある今、ゴールを定めることがこれからの不安を取り除き、モチベーションをあげるのに役立つでしょう。

 

 

そして2017年。
私にとっての2017年はどんな年になるのでしょう?

https://www.instagram.com/p/BOrqlGwFsIk/

世界(正)。
世界が完成されることを意味するカードですが、2017年の運勢を見る場合は絵に描かれている浮遊感が強調されます。
予想はしていたものの「やっぱりここまで来ちゃったか」と感じるような、敢えて選択肢から外していたような未来へたどり着く可能性があります。
居場所や役割、目的が定まるという暗示も。

そして戦車(正)。
2016年にくらべてぐっとスピード感が増してきます。
その分、気になっているのに後回しにせざるを得ないことも出てきて、それがストレスになりそう。
自分にとって丁度良いスピードを模索する1年。この部分に関しては気を抜かずに、気がつくとアクセルを踏みたくなる自分を冷静に観察することを怠らずに。
そして適度なスピード感を模索するのと同時に、置き去りにしたくないことを拾い上げる努力も忘れないこと。ルールを変える、こだわりを捨てる、お金で解決する、人にお願いする…ストレスフリーで心地よいスピードに乗り、流れていく風景と頬に当たる風を楽しめる気持ちの余裕を持つことが2017年一番の課題となりそう。

 

最後に女教皇(正)。
天狗にならずに、でも迎合もせず、自分が決めた高みから広く周囲を見渡す冷静さを失わないこと。
丁寧に相手の話を聞くと同時に、相手の課題と自分の課題を切り離し、自分にしかできないこと、自分だからこそできる方法に力を割くこと。
時に”冷たい”と思われるかもしれないけれど、恐れずに必要な距離をしっかりと置いて物事や相手と向き合うこと。
距離感を見誤りがちな自分を自覚し、毎回一呼吸置いて間合いをはかるように気をつけることがストレスの軽減にもつながり、結果としてより速く、より遠くへたどり着くことができるでしょう。

 

 

 

 

最後に、どうしても気になっている仕事についても聞いてみました。

https://www.instagram.com/p/BOrqtS_F3oR/

2つの会社、異なる働き方、あちらを立てればこちらが立たない条件の数々。
詳細は控えますが、仕事については年末の時点で一度決断した状況に安定することはなさそうで、もう一波乱、二波乱ありそうな予感です。
ここでも、複数の選択肢から選び取る際の基準が「正しいから」「よりチャレンジングだから」「家族のためでもあるから」といった今までのものから、もっと自分自信の気落ちに耳を傾けて「より楽しそうだから」「心地が良いから」という方へと変化する兆しがあります。また、意識的にそういった選び方をするがよろし、とも言われている。
仕事に関しては痛みも伴いけっこう揉めそうな気配がありますが、自分の心の声を「そんなワガママを言ってはいけない」などと封じることなく、無理だと思われるような方向に敢えて目をつぶって飛び込んでみると、着実に前進するという暗示。

 

 

 

さてさて。

タロットを始めたのが2016年の春先頃なので、こうやって一年を占うというのは初めて試みです。吉と出るか凶と出るか。当たるも八卦当たらぬも八卦

 

 

自分のリーディングとあわせてしいたけさん、石井ゆかりさんの占いもバイブルとしながら、顔を上げ、景色を楽しみながら歩いていく2017年にしたいと思います。

voguegirl.jp

lineblog.me

 

 

私自身からちょっと対象を拡大して、「東京に住む私たちにとっての2017年」も占ってみました。

 解説編とあわせてどうぞ。

 

 

 

ズボラ完璧主義者の私が家事を取り仕切る我が家は、大掃除はしません

片付けほど苦手ではないものの、掃除が得意ではありません。

https://www.instagram.com/p/BE-Ekr4MqoX/

フルタイム共働きで、家にもしょっちゅう仕事を持ち帰り、夜中の電話会議も珍しくない我が家では、週に1回家事代行を頼んで自分たちでやる掃除は最小限にしていました。(お金で解決できるのは共働きの良さだ!)
加えて、汚れをためないこまめな小掃除は割りとしているほうかなと思います。

 

…というのを言い訳にして、我が家の大掃除は本当に最小限。

 

 

毎日、週一、そして月一のルーチンをある程度決めて汚れをためないケアをしていると、結構それでも十分だったりします。

 ルーチンにすると楽ですが、ルーチンをこなすことがノルマのようになってくると苦しいのでそこは”ほぼ毎日”、”だいたい週一”、”なんとなく月一”くらいの感覚で。

日々の掃除以外のルーチンに自然に組み込めるような”ながら”、”ついで”を活用しています。

 

私は面倒くさがり屋の完璧主義なので、一定量以上溜まってしまうと呆然としてしまってますます掃除しなくなります。なのでちょこまかと”溜め込まない”ことが本当に大事。

 

”ついで”や”ながら”だと、「掃除をするぞ」と思って掃除していないので、そもそも完璧な出来上がりを自分自身に求めなくて済みます。隙間時間やついでの作業の時間内でサクッと掃除を切り上げることができます。100%じゃなくて、10%とか50%の出来栄えを積み重ねて、1週間とか1ヶ月といった単位で100%になれば良いと思えば気楽に掃除に取り組めます。

 

完璧主義者にとっては実はこれが一番の”ついで&ながら”掃除のメリットのような気がしています。
なにしろ常に”100%か0%か”という完璧主義者にとって、「100%の結果を出せないならそもそもやるだけ無駄だ!」みたいな考え方があって、100%の結果が出せなさそうだと思うと、たとえ80%の結果が出せる場合でも途端に心が萎えてしまったりするからです。


「掃除の時間だ」と思って取り組むと100%の結果が出せないと心折れちゃうのですが、「本来ほかのことをやっている時間なので、そうじはあくまでついでにやっているにすぎない」と思ってれば、その時間に取り組むべきメインの課題は掃除ではなく他のことなので掃除の出来栄えはあまり気にならなくなります。
これ、とても大事。

 

 

 

”ついで&ながら”なので基本不定期ですが、ゆる〜くサイクルを意識しながら掃除を組み込んでいます。
例えば”ほぼ毎日”にはお風呂掃除、キッチンのレンジ&シンク掃除、ルンバによる掃除機がけ、ダイニング床の水拭きが、”だいたい週一”には洗濯機のフィルタ掃除、”なんとなく月一”にはエアコンフィルタ掃除、お風呂のエプロン掃除、金魚の水槽掃除なんかが含まれます。
加えて”ざっくり四半期〜半年に一度”の割合でベランダと室外機の掃除、窓とサッシ掃除、カーテンの洗濯、電灯の笠や冷蔵庫の上など高い場所の拭き掃除、レンジフードの油汚れ落としなど。

本当はもっと頻度を上げたいと思うものも多々ありつつ、そこは日々心穏やかに暮らすことを重視してあまり神経質になりすぎないように心がけています。

 

 

ここからあぶれているものや、サイクルに組み込みきれずにここ半年くらいのスパンでやり損ねていたものが大掃除の対象となります。

 

 

ちなみに汚れは寒いと落ちにくく、気温が上がると緩んで落としやすくなります。
なので実は寒い冬の今の時期は大掃除にそもそも向かない。できれば4月〜10月の間にやる方がいいんですって!

やっぱり年末じゃなくて、年度末大掃除にしようっと♪(←サボる言い訳)

解決策も代案も出さなくていい

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議論されてる内容になんとなく違和感を覚える。
理論立てて説明できないけど、間違っていると感じる。
もっと良い方法がある気がしてならない。

 

あるいは

 

自分だけでは手に負えない問題を抱えてしまっていてにっちもさっちもいかない。
いろんな問題が絡み合って解きほぐせなくて、一つ一つ解決していくのが難しい。
対応に追われて目の前のことをこなすだけで精一杯で、根本的な問題解決に手をつけられない。

 

 

そんな時、不用意に反対を唱えたり、助けてほしいと相談すると、時に「じゃあ代案出して」とか、「どうやって助けたら良いか具体的に教えて」なんて言われた経験はないでしょうか。実際になくてもそう言われてしまうことを予測して言葉を飲み込んだことは?

 

 

でもあなたが見ている景色とは違う景色が見えている、それが他人。
考え方や経験値、人脈、権限、アイデア、知識。自分とは異なるそれらを投げ入れてもらうことで解決策が見つかるかもしれない。

 

 

たとえば、自分の業務をどんなに効率化しても、その業務自体の総量や、どういうプロセスに組み込まれているのとか、担当や部署を超えての効率化を図る、もしくは根本的に業務自体を見直すみたいなことは、もしあなたが一担当者だったら難しいと思う。
自分の権限を超えているというだけでなく、そこまで視界を広げられる情報を与えられているか、という点で、多分難しいんじゃないかなと思う。

 

自分のできる範囲で効率化するとか、できる限り調べてプランABCという選択肢を用意するとか、努力することは大切だと思う。でもそれがMUSTであることを常に要求されるのはとても苦しい。

 

努力しても、あなたには、あなたであるがゆえに解決できないこともある。
だいたい、努力の方向性が間違っていたとしたら、努力すること自体が無駄になってしまう。正しい方向に舵を切り、努力がちゃんと成果に結び付くものであるように方向転換をした方が良い場合もある。

 

逆に、あなたとは違う他人だからこそ解決できることが、世の中にはいっぱいある。

 

 

だから、本当に困ったら、あるいはずっとモヤモヤを感じているなら、解決策も代案も提示しなくて良いからその困りごとやモヤモヤを誰かにぶつけてみてほしい。
そうやってただモヤモヤをぶつけられた時には、愚痴を聞いて相手の気持ちを解きほぐし、共感し、違う視点を投げ込める存在でいたい。自分に解決できそうな道筋が見えるならそれを提案し、一緒に動くことで事態を動かせる存在でいられたら素敵だと思う。

あそこであのCM打ったソフトバンクの勇気

特にファンというわけでもないけれど、メンバー全員の名前が言える。顔と名前もちゃんと一致する。ヒット曲聴くといちいち懐かしい。
私の両親も、嵐のメンバー全員の名前は言えないけれど、多分SMAPなら判別可能。
普段、平日の夜に民放見てるなんてことがここ数年レベルでなかった私に思わず「見とかなきゃ」とTVをつけさせるくらいのパワーがSMAPにはあったと。

 

国民的アイドルってそういう存在なんだろうと、そしてこの先このレベルの”国民的アイドル”はもう出てこないのかもしれないなという感慨を覚えながら先日のスマスマ最終回を見ました。

 

特にファンではないし芸能関係者でもないので解散にまつわる顛末、語られる噂の真相は分からないし、それほど強く興味を惹かれるわけでもありません。

 

ネットで「お葬式のようだ」「まるで追悼番組だ」と散々言われた放送は、SMAP素人の私でも懐かしさとともに違和感を覚える内容でした。
いろんな騒動がありつつ、最後まで違和感を残しつつ解散するSMAPについては、このブログが気持ちを代弁してくれているような気がします。

blogos.com

 

とはいえ、解散が彼らが本当に望んだことかどうか分からないので、「存続を願うのはエゴだ」と言い切ることには躊躇してしまうけれど。

 

 

 

番組中、ソフトバンクが打ったCMが「素晴らしい」「ありがとう」と話題になって、すると即座に呼応するように「あざとい」みたいな声も聞こえてきた。

 

個人的には、おそらくすでに契約が切れていたであろう彼らの映像を再び使うというのは、そこをあのジャニーズと交渉するだけでも相当すったもんだあっただろうと想像すると、そこにはあざとさだけじゃない関係者の本当の”感謝の気持ち”とか”エール”が込められていたように感じました。

だいたい再契約したとして、その金額だけでも相当なもんだろうと思う。しかもあのロングバージョン。
結果として確かにソフトバンクは株を上げたけれど、それを最初から計算していたら多分調整しきれなかったくらいの苦労があったんじゃないかと思う。

 

それに、賛否両論、陰謀説やら渦巻いていて、熱狂的なファンがものすごい数いて、下手なことやったら速攻叩かれまくるのが目に見えている中、どの場面を使うのか、どういうコピーを流すのか、色んなことを気にし出したらきりがない。

 

「よし、これでいこう!」って、お金を出すことを決めた人も、クリエイティブ決めた人も、腹括ったなと思う。

 

 

最後まで腹括りきれず、調整しきれず、歯切れの悪い幕引きになってしまったSMAP側の現場、そしてトップ(それが誰なのかもよくわからないけれど)に対して、あそこであのCM打ったソフトバンクってやっぱりすごいな、というのが一番の感想になってしまった…。

あと、芸能界って恐ろしい。