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The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

「絶対」と言う口癖は若い時だけにしておこうと思う(そして私はもう若くない)

「絶対」が口癖の人のはなし。

https://www.instagram.com/p/BBsirdFsqoW/

その方はとてもエネルギッシュで、アイデアも経験も豊富で、正義感に溢れ、モリモリと音を立てて仕事を進める感じの人。と同時にどこか職場人気質のところもあり、こだわりが強く、細かくやり方を共有するというより見て習え的な親方っぽさもある。

職場でもとても存在感があり、皆に一目置かれる方でした。

 

うー、歯にものが挟まったような言い方したけど、えい、白状します。

悪い人では決してないんです。本人会社を良くしたい、良い結果出したいと一所懸命なんです。悪気もない。でも、何かみんなでその人に気を遣ってしまい、顔色伺ったり、面と向かって議論するのを避けたりしてました。
社歴が長く、年齢も高めでチームをマネージすることが期待されるような立場にあり、でもなぜか部下とうまくいかないためマネージャー業務はしてません。いい人なんだけど、ちょっと苦手なんだよね…という声を何人から聞いたことか。

 

みんなが気を遣ってしまう理由は色々とあったのですが、その一つがその人の口癖だったんじゃないかと思うのです。

 

「絶対いいよ!」「絶対ありえない!」

 

「それいいね」「私は違うと思う」とフラットに答えられるときも、いつも全力。
「絶対!」
だって、口癖だから。

 

 

たとえそこに悪意はなくとも、「絶対」と言われると調整や交渉の余地がないように感じられてしまう。そして強い言葉なので無意識のうちに相手の方が主導権を握っているように錯覚したりもします。

 

 

20代の子が「絶対いいと思うんです!」なんて何事にも全力でぶつかってたら、まあかわいいと思えるかもしれない。
でも40過ぎてポジションも上の人が毎回「絶対!」って繰り返すのはかわいくもなんともなく、周りを萎縮させてしまい、微妙過ぎる空気と距離感を生んでいました。特に否定が「絶対にありえない」っていうのは、口癖だと分かっていても必要以上に否定された気持ちになってしまうし、まして部下だったり気が弱かったり、口癖だと気づいていなかったらしたらかなり萎縮させられてしまう強さがある。

 

 

上の人にそのつもりがなくても、上司や先輩に報告したり意見を言うのは、それが決して悪い内容でなく建設的なものだったとしてもプレッシャーのかかる行為だと思います。だからこそ上の立場の人は意識してオープンでウェルカムな態度を取り、自分が思う以上に相手を受け入れる気持ちを表に出さないといけないなと、アラフォーになった私は思うのです。

組織としては、指揮命令系統ははっきりと定義されて守られることが大切かもしれませんが、誰もがオープンに意見を言えることはそれ以上に大切なこと。そしてオープンに発言できる空気というのは、日頃からかなり意識して作り上げる必要があります。ローマは一日にして成らず。

それは折に触れて周囲の意見を聞くことであり、相手に「どう思う?」と問いかけることであり、日々の何気無い雑談の積み重ねであり、そしてどんな発言な意見も真っ向から否定したり、叩き潰したりしないことで培われる信頼感の蓄積です。

 

 

 

子供の頃、空に何本も何本も飛行機雲ができているのを発見して、興奮して父親に「見て!飛行機雲がたくさんできてる!10個くらいあるよ!」と伝え時のことを未だに覚えてます。父は空を見ようともせず「そんなことはありえない。嘘をつくな、少しだまってはさい」とピシャリと私を黙らせたのです。

父は運転中で、私は長いドライブに飽きて歌ったり喋ったりし通しで、今思えば父はただ疲れてうんざりしていただけなのかもしれません。

でも子供の私にとって、空を見ることもせずに否定されたことはとてもショックなことでした。その後、私は何か面白いものを発見しても、父に言ったらまた否定されてしまうだろうかと考え、興奮のままに伝えることをしなくなりました。厳しかった父に、私はいつも、何なら話しても大丈夫か、今は話しかけても大丈夫かと顔色を伺うようになりました。

父の何気ない言葉はそれくらいインパクトがあったのです。(多分父はこのことを全く覚えていないと思う。)

 

 

立場が上の人は、それだけでパワーがあります。それは良し悪しではなく、社会的文化的に私たちが積み上げてきた価値観です。
だからね、タダでさえパワーを持ってるんだから、言葉や態度はよりコントロールしてオープンにしないと、力で勝ってしまう。勝つ必要がない場面でも。

 

 

「絶対」が口癖だったら、年齢とともにその口癖を引っ込める訓練をした方が良い、と、私は小さい頃の父親との思い出とともにこのことを胸に刻んだのでした。

 

 

もう一つ、「絶対」の口癖を引っ込めた方が良いと思う理由は、狼少年のように周囲がその口癖に慣れてしまいスルーするようになるから。本当に「絶対いい!」「絶対ダメ!」っていうときに、「あぁまたか、話半分くらいで聞いておこう」ってなってしまう。

 

その人も、すごくいい事言っていることも多いけど、一部の人はどんな話であれ内容を理解しようとする前にスルーするようになってました。「絶対」に、本当に伝えたい大切なことが隠れて見えにくくなってしまった。そういうフィルターを一度かけられてしまうと、外すのは容易ではありません。

 

 

 

♪絶対にmaybe stray cats路地裏の〜って歌ってたアムロちゃんは当時ティーンエイジャーでしたっけ…

 

 

 

【タロット・リーディング】職場に苦手な人がいます

最近転職した方からのご相談。

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職場はとてもフレンドリーな雰囲気で、仕事もやりがいがある。転職してよかった!
・・・と思っているものの、どうしても馴染めない、苦手に感じてしまう人が一人いるそうで、そのせいで毎日会社に行くのが憂鬱だとか。
人間関係も仕事内容も満足なのに、苦手な人が一人いるだけで会社に行くのが億劫になってしまうなんてもったいない。

 

まずはその苦手に感じている方について、引き寄せスプレッドで探ります。

https://www.instagram.com/p/BPwJWs4lmJi/損得感情に敏感で、満足な現状を変えることが億劫なペンタクルのエース(逆)。
良い意味で欲望に忠実な悪魔(正)。欲に負けて怠惰な気分が蔓延しているときは、目的を思い出す必要があると忠告してくれる存在。
そして隠者(逆)。一人きりの時間、自分のペースがとても大切。と同時に、自分の枠に居心地良く収まっているだけでなく、外との関係性の中で自分を見つめること、そして目の前のことだけでなく1年後、3年後…と未来に目を向けることを思い出させてくれます。

 

行動や判断の基準が場面や人によって違うことで、周囲が常に振り回されている様子が見えます。一人でやりたいのか、チームで動きたいのかといった仕事のスタンスも、側から見ると一貫性がないように見えるのでますます周囲は混乱。
ご本人からすると周囲が勝手に混乱してるように感じられて、自分のペースを維持したり、必要なスペースを確保するのが難しいというストレスを抱えてしまいます。

 

もう少し読み解きます。

 

最初に出た”損得なのか、無私なのか”について、本人はどうも使い分けているという意識でいるようです。集団の中で自分の立ち位置を守りたい、恥をかきたくない、といった心理が基準となって使い分けているので、本人も理論的に使い分けを説明できないし、周囲はもっとわからずに振り回されちゃう様子が、ペンタクル4(正)と吊るされた男(逆)に現れています。

そしてご本人の立場から見てみると、職場での今の立場には概ね満足しているけど、今までの努力に対してもっと報われても良いはずという不満と、もっと影響力を持ちたいという野心が、ペンタクルの3(正)と皇帝(正)に現れています。

カップの3(正)は、チームで動くときも線を引かず「こっちも結構楽しいけど一緒にやりません?」と常にオープンな姿勢を崩さないことが、相手の方にとって心地よい関係を築くコツだと教えてくれています

 

 

こんな感じで、相手の方とご相談者さんの相性とか、どうやったらうまくやっていけるのかをリーディング。
うまくやるためにはちょっと工夫が必要だし、低姿勢で歩み寄る姿勢も求められそうです。卑屈な態度は見抜かれちゃうし、リスペクトしながらも対等な個人として向き合うのが良さそうです。
一度信頼を勝ち取ってしまえばけっこうフリーパスで快適な人間関係が築けそう。

 

相手との適切な距離感や、接するときのポイントがわかったことで相談者さんもホッとしていただいた様子。
よかったよかった。

 

 

最後に「今回のリーディングどうだっ?」とタロットさんに聞いてみました。

https://www.instagram.com/p/BPwJvyOleLt/恋人のカードでYES!

ただし、移ろい揺れる恋心のように、揺れ幅のあるリーディングだったのでそこ注意しておいてね!という忠告もいただきました。

 

 

 

 

”引き寄せ力”と”やり抜く力” 〜成功にたどり着く二つの道筋

 最近読んでいる本2冊

 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

どちらもどっしりボリュームがあるのでまだ読了していないのですが、集中力を持って読み進め続けるにはいずれも翻訳がイマイチ肌に合わず(特に『思考は現実化する』)、2冊の本を行ったり来たりしながら日々ちょっとずつ読み進んでます。
(こういう時Kindleは重い本2冊持ち歩かずにすむのでとても楽チン。)

 

行ったり来たりしながら読んでいるうちに、ふと気づいたことがあるので、今日はそれについて。
気づいたことというのは、この2冊は目指すところは”成功”という同じゴールという点で共通しているのに、そこにたどり着くまでの”信じる力”について真逆のことを述べている!ということです。

 

成功を信じ、それが達成された時の具体的なイメージを持つことを勧める「引き寄せ力」

https://www.instagram.com/p/BJ5lFCmDDBo/

いわゆる”引き寄せの法則”の元祖として有名な『思考は現実化する』では、成功がすでに達成されたと自分に信じ込ませること、具体的な目標達成イメージを抱き続けることで、そのイメージが現実になる、ということを説いています。

ここで強調されているのは「私は必ず成功する」と信じることが何よりも大切だ、ということ。

目標を達成すること、成功を手に入れることを疑ったり、自分には無理かもしれないと思ってしまうと、その疑いや諦めの方を引き寄せてしまうので、引き寄せの法則的には否定的な未来予測や自己否定は絶対NG。

常に「私はできる」「っていうかもう出来てる」と信じて、その状態に向けて努力をし続けるといつの間にかその状態になっているよ、というお話。

 

現状に満足せず、未来を楽観せずることで持続的な「やり抜く力」が発揮される

https://www.instagram.com/p/6ROB9_sqog/

かたや”GRIT”と呼ばれる”やり抜く力”は、「今の自分ではまだまだ足りない」「あんなすごいこと自分には到底無理だ」と、現状や未来に対して決して楽観的ではない。mしろ否定的だからこそ、より上を目指して”努力し続ける”ことで最終的に成功する率が上がることを、著者は調査の結果を交えて実証していきます。

ここで重要なのは、才能を持っている人が陥りがちな「私はできるから」と安易に信じて安心してしいまうことで、努力することがおろそかになってしまう罠にハマらないこと。自分を過信することなく、等身大の自分、あるいはもしかして過小評価された自分を乗り越えようとすることを、努力し続ける原動力にすることです。

そして”やり抜く力”を持っている人は、努力し続けて昨日の自分を今日の自分が超えていくことに喜びを感じ、明日へのモチベーションにできるんだよ、というお話。

 

 

到達するゴールは同じなのに

”引き寄せ”も”GRIT”も、「強く信じて努力し続けることで成功できる」という点では共通しています。

たまにどっちの本を読んでいるか分からなくなるくらい、どちらの本でも”信じて努力し続けることというのは成功にたどり着くための必須条件である”ということが繰り返し、様々な事例を挙げて紹介されています。

”引き寄せ”は自分にあるかどうかわからない才能や運を、ある意味盲目的に信じて努力するのに対し、”GRIT”では今の自分やその先にある成功を疑うことが努力し続ける原動力になる。

似ているようで真逆。

 

 

整理するとこんな感じ。

”引き寄せ”の道筋:「とにかく成功する」→「成功することは決まってるんだから努力は必ず報われると信じることができ、努力し続ける」→「気づいたら成功」

”GRIT”の道筋:「このままでは成功できないかもしれない、自分には無理かもしれない」→「努力して今の自分を超えていくことが面白いから現状に甘んじずに努力し続ける」→「気づいたら成功」

 

 

あなたは”引き寄せ”派?それとも”GRIT”派?

どちらの思考がしっくりくるか、けっこう人によって別れるんじゃないかなと思うんです。

 

私は引き寄せ本をいくつか読んだけれど、一度もしっくりこなかった。『思考は現実化する』も読みながらも違和感アリアリです。まず、盲目的に成功を信じるということができない。何度トライしても「成功した状態」を自分の気持ちに重ねることができない。

ところが『GRIT』はすごく共感できる。自分も割と似たような道を辿ってきたんじゃないかなという実感もある。今に満足できない、少しずつ自分を変えていくことがとても面白い。そして不思議なことに、それが面白くて努力することでその先に成功があるという考えはとてもすんなりと信じることができます。

 

つまり、私はすでに「その先にある成功」を根拠なく信じているわけです。
ただ、それが「引き寄せ」られるとは思えないけれど、「努力し続けた先にある理想」としては非常にリアルにイメージできる。

 

引き寄せの法則が大流行したので試してみた人も多いんじゃないかと思います。
それで「やーダメだったわー」という人はぜひ『GRIT』読んでみてほしい。

最終的にはどちらも成功を”努力で引き寄せる”のだから。

【タロット】リーディングの時の”視点”の持ち方

タロットカードを使ったリーディングを重ねてきて、「あれ、なんか的外れな答えを出してるな」と思ったとき、なぜその答えを出したのかを相談者の人と一緒に掘り下げさせてもらうと「視点」がズレてたんだなと気づくことがあります。

https://www.instagram.com/p/BPrqUpFFlau/

 

リーディングの時の”視点”には大きく2つの軸があります。
今日はそんなお話。

 

過去・現在・未来という”時間軸”

現実世界での時間は常に過去から未来に向かて不可逆的に流れていきます。
でも記憶や思考の中では、過去のある地点をまるで”今”のように追体験したり、”今”にいながら未来に目を向けるというような、時間軸を超えるようなことが可能です。

リーディングしている自分が過去・現在・未来のどこに立っているのか。

そして、立っている地点から過去・現在・未来のどちらの方向を向いているのか。

現在地点と見る方向の掛け合わせで、リーディングで見えてくる答えがかなり変わってきます。なのでリーディングする際に「今どの地点にいるのかな」「どっちの方向を向いているかな」というのを意識するのがとても大事だと思ってます。

 

誰の立場から見るのかという”立場軸”

物事は誰の視点から見るかによって受ける印象が変わってきます。
リーディングする際にも、今見えているのは自分の視点から見ているのか、他人から見た自分なのか、といったことに気を配る必要があります。

自分(相談者さん)の視点から見ている時により強く感じるのは感情や意識といった内面的なこと。客観的に見えているものを捉えるよりも、目の前で起こる出来事に対してどんなふうに感じるかということにフォーカスが当たります。

他人の視点から見ている時にはその逆で、視野が少し広くなるというか、出来事をエピソードとして全体的に捉えやすくなります。出来事の中で自分がどういう役割を演じているのかとか、他人から見た自分の印象とか、あとは人間関係なんかも他人の視点から見た方がよく見えます。

もう一つ第三の視点として、スピリチュアルな世界ではオーラだとか守護霊だとかっていうようなものから捉えるというのもあります。エピソードそのものでも、それによって動かされる感情でもなく、それをまるっと包括した”なぜそれが起こるのかという必然性”みたいなものが見えることが多いです。

 

第三の視点はものすごく広い視野を与えてくれる反面、いっぺんに見える情報量が多すぎて読み解ききれないことも多い。過去も現在も未来も、自分も他人も、いろんな視点が入り乱れていっぺんに目の前にホログラムのように立ち上る感じで、強いて例えるなら1本の映画を数秒の中にぎゅっとまとめて、マルチスクリーンで立体的にいっぺんに見させられる感じ。映画の様々なシーンが、上下左右と奥行き方向に何枚も重なった半透明のスクリーンに一度に投影されるような感じです。

(でもこれ、あくまで私の場合なので、違う見え方してる人もいるんだろうなぁ。他の人はどういうふうに見えているのかも気になります。)

 

 

第三の視点は、使うのが得意な人と、全然見えないよーという人がいるかもしれません。
でも、時間軸と立場軸というのは必ず使えるはずなので、リーディングする際にちょっと意識してみると面白いと思いますヨ。

 

気づき、きっかけとしてのダイバーシティ

https://www.instagram.com/p/BGTcY5uMqhG/

〜タロット的(逆)ダイバーシティ

一つの宗教的な価値観を守ることを役目とする教皇は、多様な価値観を認めないカード。逆位置では多様な価値観を持つように促すとともに、保守的になりすぎていないか、自分立場を悪用していないか省みるようにというメッセージに。

 

 

ベビーカーと間違えられやすい子ども用車椅子について読んで思ったこと。

www.huffingtonpost.jp

 

配慮が必要なことって、知らないとそこに思いが至らずに、本来ならそれができる人であっても無知からできないことってあります。

想像力を働かせましょう、自分から進んで調べたり勉強しましょう、というのは正論なのですが、自分の日常生活の中に登場しない人やものや概念について想像力を働かせること、調べようと行動することはとても難しい

 

最初の一歩として世の中にそういう事象や概念があるのだと気づくきっかけや、こっちの方向にも目を向けてみましょうという導きがどうしたって必要になる。

 

人間、自分の目に入ってこない世界にまで自発的に想像力を働かせられるほど器用じゃないし、こう言っちゃうと身も蓋もないけど現代人はそれほど暇でもない。だからこそ、より多様な人やものや概念に日常の中で出会えるということは、それだけで気づきや学びが非常に多い人生を送ることにつながると思うのです。

 

そう考えると、ダイバーシティにはただ単に「多様性を認めましょう」「マイノリティを受け入れましょう」みたいな表層的な意味以上があることに気づきます。

 

それは、多様性があるんだということそのものに気づくきっかけを日常の中に作っていくことであり、様々な立場の人が直面する困難を、他人事ではなく身近な人のものとして具体的な想像力を働かせることです。

 

 

アメリカで通った小学校で驚いたのが、人の特徴を説明するのに肌、髪の毛、そして目の色を挙げるということでした。日本にいたら程度の差はあれどだいたいみんな黒髪で茶色い目をしています。でも改めて見てみると、確かにクラスメイトたちは金髪だったり赤い髪だったりしているし、目の色も青、茶色、緑など様々。日本では肌色は文字通り肌色で、自分の肌が世界的に見れば黄色と表現されるなんて思いもよりませんでした。

様々な人種や国籍のバックグラウンドを持つクラスメイトの中で、自分が日本人であることを否応にも意識させられたし、日本人がマイノリティであることを肌で感じました。

スーパーやショッピングモールに行けば、入り口に近い駐車場には必ず車椅子のマークがついていて、日本よりも車椅子を利用している人に遭遇する確率も高かった。そういう人がスロープを利用していたり、車椅子の人が通る間ドアを開けて押さえている人を日常的に見かけていたので、言葉は知らなくても「バリアフリー」的なことを意識していたように思います。

 

 

記事の中でも述べられているように、だからこそシェアしよう、RTしよう、サービス業や交通機関の会社においては研修を通して子ども用車椅子の認知を広げよう、というのは必要であると同時に、そもそも子ども用車椅子の人がもっと普通に出かけていける社会、知識としてだけでなく体験としてその存在を認められるような社会を目指したいです。そしてそういう社会を目指して具体的な活動をしている人のことを応援し、後押しできる自分でありたい。

小学生の私を打ちのめしたメディアリテラシー教育

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こういうことを書いたのですが 

これを書いていて思い出した、印象に残っている学校で受けたメディアリテラシー教育が2つあります。

1つはアメリカの小学校で「バイアス」という言葉と概念を習ったときのこと。
2つ目は大学で受けた「メディアリテラシー」という授業での同級生達の反応のこと。

 

バイアス」という単語を習った日

私はアメリカの現地校に通っていた小学校6年生の時に、初めて「バイアス」という単語を習いました。その概念自体のインパクトと、学校でこういうことを習ったという衝撃と共にこの単語は深く心に刻まれました。

 

私が受けたのは、一つの出来事についてある視点から書かれた文章を読んで感想を述べあった後に、別の視点から同じ出来事についてかかれた文章を読むと全く違う感想になる、という授業でした。

最初に取り上げられたのは「お友達と遊んでいて喧嘩になった」みたいな、子供でも自分ゴト化しやすい事例で、当事者であるAさんとBさんでは言い分が全然違うよ、みたいな話。次に、あるニュースをXとYという異なる立場からそれぞれの切り口で書かれた記事を順番に読んでみる。

そこで、なぜ同じ出来事や事象を語っているのに、受ける印象がこんなに違うんでしょう?という投げかけがあり、それはどんな主張であれその主張にはそれぞれの立場からの「バイアス」がかかるからだよ、という説明がありました。

 

私が「バイアス」という単語とその概念に生まれて初めて出会った瞬間でした。結構難しい単語だと思うんだけど、あの授業で一発で頭に叩き込まれるくらいインパクトありました。

 

世の中のことはほとんどみんなバイアスがかかっている!!!

この衝撃といったら、小学6年生の私をしばらくの間打ちのめすのに十分なインパクトでした。

 

更に進めて色々な記事を読んで「これはBiased(バイアスがかかっている)と思う人?」「どんなバイアスがかかっている?」「Non-biasedにこのことを伝えようとしたら、どういう風にしたら良いと思う?」と進んで行く授業。反対の立場の意見も紹介する、読む際には必ずBiasedじゃないかを意識しながら読む、伝える立場になったときには自分自身がBiasedでないかを意識する、などなど、具体的なテクニックとともに学んでいきます。

そして最後に
「新聞もテレビも雑誌も、人が話すことも、基本的にみんなBiasedです。私たちは見聞きすることにバイアスがかかっているということを忘れてはいけません。」
「話すときにも無自覚にBiasedになりやすいです。」
「Biasedであるということを意識していないと、私たちは簡単に偏った考えを信じてしまいます。」
という風に授業が締めくくられたように記憶しています。

 

時間にしてたかだか1時間だか2時間くらいの、ごくシンプルな授業でした。
でも「バイアス」という概念に初めて出会った小学校6年生の私は、家に帰ってこの授業のことを興奮気味に両親に語り、その後20年以上を経ても鮮明に覚えているくらい印象に残る授業でした。

 

日本でこんな授業受けたことなかった!
という驚きとともに心に深く刻まれ、私が海外生活を体験して本当に良かったと感謝している出来事の一つです。

 

人はいつ「バイアス」とう概念に出会うのか

二つ目は大学生になってから受けた、その名も「メディアリテラシー」という授業。
大学1年生のいわゆる教養科目の一つだったと記憶しています。こちらはもう少し幅広く、メディアを読み解く力を体系的に、そして実践を通じて学ぶという授業でした。

 

ここでより印象に残っているのは、授業内容そのものより周りの学生の反応です。
私が小学生のときに出会ってからずっと頭の片隅に置いて意識をしてきた「BiasedかNon-biasedか」という評価軸に、大学生になって初めて出会う学生がたくさんいたことに何より驚きました。なんとなくそういうものがあると気づいていたけれど、それに「バイアスがかかるということ」という言葉が与えられて概念的に理解できるのは初めて、という学生が多かった印象。

 

私がアメリカの小学校で習ったことに、日本では大学生まで出会うことがないのかという驚き。そして私が通っていた大学はこういうことに関しては先進的な取り組みをしているので非常に有名なところだったので、もしかしてここ以外の大学だとメディアリテラシー的な概念に出会うことすらないまま社会に出る人がたくさんいるのかもしれない、ということに眩暈を覚えたのでした。

と同時に、多様な宗教的・文化的背景を持った様々な人種が寄り集まるアメリカでは、メディアリテラシーを身につけるということが日本よりも重視されているんだろうなと思ったのでした。

 

 

 

でも、トランプ大統領が誕生する経緯を見ていて、アメリカのメディアリテラシー教育って今はどうなっているんだろう?とか、ソーシャルネットワークの時代になって新しいメディアリテラシー教育が必要になってるんだろうな、とか色々頭をよぎりました。

自分の子供には、メディアリテラシーを身につけて情報をしっかりと取捨選択し、いたずらに踊らされない人になってほしいと願っています。

 

脊髄反応で拡散することの怖さ、自戒を込めて

少し前に、小泉進次郎が次のように発言し拍手が湧いたというニュースが、批判の声とともにたくさんシェアされた。

www.sankei.com

悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか

私もおもわず”いいね!”をタップして”シェア”してしまいそうになったけど、ふと「なんか変だぞ」と思って思いとどまった。

残りの6000万人は虐殺だとか、行きすぎた前向き思考が常にポジティブでなければいけないというプレッシャーとなって人を追い込む、といった捉え方をされているようなんだけど、この発言だけを捉えて「自信に満ちてない6000万人は日本にいなくていいよ」と受け止めるのは短絡的すぎやしないだろうか。
だいたい、じゃあ今の人口の半分が将来を楽観し自信に満ちた人なのかというと、そんな根拠も何もない。

 

なんとなくこの言葉だけが一人歩きしている感があってとても気持ち悪い。

 

前後の文脈から切り離された発言が一人歩きしているんじゃないか疑惑

どこかに発言の全文が載ってないかなと思って探してみたのですが、どうも見つからない。唯一、どうも「人口減少を嘆くのをやめよう」という文脈の中で語られたらしいことがかいま見えるのがこちらの記事。

www.huffingtonpost.jp

小泉氏は、東北復興や22世紀の日本についても議論を展開。日本の抱える課題である人口減少についても「もう人口減少を嘆くのを止めませんか?」と語った。「人口が減ったって、やっていけるという自信が大切。将来に悲観する1億2000万人より将来に自信と楽観を持つ6000万人のほうが強い。いつか人口が下げ止まるときがきて、そこから力強い成長がある。人口減少を強みに変えよう」などと大きな展望を語った。

うん。これならすんなりと聞ける。
ただこれは昨年の10月の発言ということで、ニュースになったのは年頭所感だからタイミングがズレてる。逆にいうと、小泉氏がこういう発言をするのは初めてではなくて、一貫してこの主張を繰り返しているとも受け止められる。
そしてこちらも発見。

www.asahi.com

こちらは切り取られた言葉の後に何が語られたかが掲載されてる。

最大の日本の課題は、人口減少と少子化にある。その打開策は、毎年減り続けることを悔やむ発想から早く飛び出して、減る中でもやっていけるという成功例を生み、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むこと。それが結果として将来、人口が下げ止まる環境を作り、新たな日本の発展への道を描く。私はそういう考えでいます。

これ読むと、6000万人に減らそうとか、半分は見捨てるみたいな話では全くないことが分かります。
そしてこの記事は去年9月。同じ発言なのにこの時はなぜ炎上しなかったの?

 

21世紀末には日本の人口は6000万人になるという予想

ちょっと調べてみると、そもそも、このままいくと日本の人口は6000万人くらいに落ち着くよという予測が出ていることを発見。(普通にググっただけで出てくる。)

abematimes.com

この、21世紀末に日本の人口6000万というのは調べると数年前から出ている調査結果のようで、内閣府が出している平成17年度の少子化社会白書の中でも示されている数字。

つまり日本の人口が6000万人くらいになるよというのは、少子化を語る上ではある程度の前提条件となっている共通認識と言えそう。

 

 

つまり小泉氏はこの、21世紀末には日本の人口は6000万人程度にまで減少するという予測をベースに、闇雲に1億2000万人の人口を維持しようとするのではなく、減少していく人口と超高齢化という社会構造を受け入れた上で、そうなった時にいかに前向きな気持ちで日本国民が生活できる状態を作るかを考えましょう!と訴えているにすぎない。

 

普通にすごく現実的で、とても前向きな発言じゃない?

 

ということで、最近忙しくて目にするニュースを検証することもなく脊髄反射でいいねしたりシェアしたりしていたのですが、それをすることの怖さ、そしてそうやって拡散されたニュースを鵜呑みにすることの怖さを改めて実感したのでした。

 

 

今日はちょっぴり真面目なお話でした。