勉強って楽しいよ、と言ってあげられる親でありたい
芦田愛菜ちゃんが難関中学に合格したというニュースに続き、入学式で制服を着た姿のスクープ(?)写真が出たりしてました。
子供の小学校受験を経験した身からすると、中学受験成功は素直に「おめでとう!本当に頑張ったね!」と言いたくなるニュース。
ちょっと前になりますが、これに関連して回ってきたコチラ。
内容を読む前に、タイトルだけでフラッシュバックした記憶。
海外に住んでいた小学校高学年の頃に一緒に遊んだりしてた女の子が、やたらと勉強できる子や勉強すること自体をディスってたことを思い出したんですよね。
「女の子はバカな方が可愛い」
「勉強なんかしたらモテなくなっちゃう」
「勉強しても何の役にも立たない」
その子の親はそれなりに厳しく勉強をさせようとしていた印象があるので、それに対する反発だったのかもしれないのですが、とにかくそんな事ばかり言っていました。
そして実際に、彼女が宿題をやってくる事はほとんどありませんでした。
私も彼女も同じ通信教育をやっていたのですが、これも基本全パス。スルー。教材の山が封も切られずに机の上に山積みにされてました。
そして当時の私がこれをどう受け止めたかというと、すごく悲しかったんですよね。
なぜなら私は勉強楽しいぞと思い始めたところだったから。
当時私は赤川次郎やティーンズ文庫にハマって、本を読むのが楽しくて仕方ない。海外だと日本語の本がそんなに簡単に手に入らないので、「りぼん」の各ページの下に載っている読者の一言コメントとか、父親が定期購読していたビジネス誌や日経新聞まで貪るように読み漁っていました。
その延長で勉強も嫌いじゃなくて、なんというか「脳みそが鍛えられる感覚」が面白いと思い始めていた頃でした。練習するとスポーツが上手になるのと同じように、勉強するとなんか色々理解できるようになって、バラバラに思えていた事象の間の繋がりが見えてきたりするのが「これはなんか面白いぞ」と。
でもその子は「勉強やるなんて馬鹿だ」と切り捨てる。
なんか、せっかく発見した面白いことを批判されたように感じて、やけに悲しかった。
と同時に、「絶対そんなことないはずだ」という反発心もありました。
学校で習うことが日常生活の中の出来事と結びつくことも増えてきていたし、知らないことを新たに知るというのが純粋に楽しいと思えた。
なので自分の実感としては「勉強は案外楽しい」だったし、「自分がつきあうなら勉強ができて色々知ってる人がいい」と思ってから「勉強したらモテない」っていうことにも懐疑的でした。
ありがたいことに私の親はそんな私の気持ちをサポートしてくれて、父は自分がが勉強で学んだことが仕事に役立っていることを話してくれたし、母も私が本好きなのを知るとたくさんの本を読めるように色々とサポートしてくれました。
スポーツがとにかく苦手で体育の時間が苦痛な子供がいるように、勉強がどうしても苦手な子はいると思う。私はたまたま学校の教科でそこまで苦手なものがなくて、勉強よりも友達とうまくやることのほうが苦手で悩んでました。宿題はめんどくさいと思っていたけれど、根本的に勉強が嫌いだと思ったことはないといのは、今思い返すとラッキーなことだったのかな。
勉強って、学校の授業とか宿題がベースではあるけれどそれだけじゃない。子供たちが、学校の勉強が面白いと思ってくれているうちはその気持ちをしっかり後押しできる親でありたい。そして学校の勉強が面白くないと感じてしまったら、違う角度から学ぶことの面白さにスポットライトを当てて示してあげられる親でありたいです。
そんなことを思いながら、知り合い数人の「社会人大学院生になりました!」というFacebookの報告を羨ましさとともい眺める新学期。
小学生の私を打ちのめしたメディアリテラシー教育
こういうことを書いたのですが
これを書いていて思い出した、印象に残っている学校で受けたメディアリテラシー教育が2つあります。
1つはアメリカの小学校で「バイアス」という言葉と概念を習ったときのこと。
2つ目は大学で受けた「メディアリテラシー」という授業での同級生達の反応のこと。
「バイアス」という単語を習った日
私はアメリカの現地校に通っていた小学校6年生の時に、初めて「バイアス」という単語を習いました。その概念自体のインパクトと、学校でこういうことを習ったという衝撃と共にこの単語は深く心に刻まれました。
私が受けたのは、一つの出来事についてある視点から書かれた文章を読んで感想を述べあった後に、別の視点から同じ出来事についてかかれた文章を読むと全く違う感想になる、という授業でした。
最初に取り上げられたのは「お友達と遊んでいて喧嘩になった」みたいな、子供でも自分ゴト化しやすい事例で、当事者であるAさんとBさんでは言い分が全然違うよ、みたいな話。次に、あるニュースをXとYという異なる立場からそれぞれの切り口で書かれた記事を順番に読んでみる。
そこで、なぜ同じ出来事や事象を語っているのに、受ける印象がこんなに違うんでしょう?という投げかけがあり、それはどんな主張であれその主張にはそれぞれの立場からの「バイアス」がかかるからだよ、という説明がありました。
私が「バイアス」という単語とその概念に生まれて初めて出会った瞬間でした。結構難しい単語だと思うんだけど、あの授業で一発で頭に叩き込まれるくらいインパクトありました。
世の中のことはほとんどみんなバイアスがかかっている!!!
この衝撃といったら、小学6年生の私をしばらくの間打ちのめすのに十分なインパクトでした。
更に進めて色々な記事を読んで「これはBiased(バイアスがかかっている)と思う人?」「どんなバイアスがかかっている?」「Non-biasedにこのことを伝えようとしたら、どういう風にしたら良いと思う?」と進んで行く授業。反対の立場の意見も紹介する、読む際には必ずBiasedじゃないかを意識しながら読む、伝える立場になったときには自分自身がBiasedでないかを意識する、などなど、具体的なテクニックとともに学んでいきます。
そして最後に
「新聞もテレビも雑誌も、人が話すことも、基本的にみんなBiasedです。私たちは見聞きすることにバイアスがかかっているということを忘れてはいけません。」
「話すときにも無自覚にBiasedになりやすいです。」
「Biasedであるということを意識していないと、私たちは簡単に偏った考えを信じてしまいます。」
という風に授業が締めくくられたように記憶しています。
時間にしてたかだか1時間だか2時間くらいの、ごくシンプルな授業でした。
でも「バイアス」という概念に初めて出会った小学校6年生の私は、家に帰ってこの授業のことを興奮気味に両親に語り、その後20年以上を経ても鮮明に覚えているくらい印象に残る授業でした。
日本でこんな授業受けたことなかった!
という驚きとともに心に深く刻まれ、私が海外生活を体験して本当に良かったと感謝している出来事の一つです。
人はいつ「バイアス」とう概念に出会うのか
二つ目は大学生になってから受けた、その名も「メディアリテラシー」という授業。
大学1年生のいわゆる教養科目の一つだったと記憶しています。こちらはもう少し幅広く、メディアを読み解く力を体系的に、そして実践を通じて学ぶという授業でした。
ここでより印象に残っているのは、授業内容そのものより周りの学生の反応です。
私が小学生のときに出会ってからずっと頭の片隅に置いて意識をしてきた「BiasedかNon-biasedか」という評価軸に、大学生になって初めて出会う学生がたくさんいたことに何より驚きました。なんとなくそういうものがあると気づいていたけれど、それに「バイアスがかかるということ」という言葉が与えられて概念的に理解できるのは初めて、という学生が多かった印象。
私がアメリカの小学校で習ったことに、日本では大学生まで出会うことがないのかという驚き。そして私が通っていた大学はこういうことに関しては先進的な取り組みをしているので非常に有名なところだったので、もしかしてここ以外の大学だとメディアリテラシー的な概念に出会うことすらないまま社会に出る人がたくさんいるのかもしれない、ということに眩暈を覚えたのでした。
と同時に、多様な宗教的・文化的背景を持った様々な人種が寄り集まるアメリカでは、メディアリテラシーを身につけるということが日本よりも重視されているんだろうなと思ったのでした。
でも、トランプ大統領が誕生する経緯を見ていて、アメリカのメディアリテラシー教育って今はどうなっているんだろう?とか、ソーシャルネットワークの時代になって新しいメディアリテラシー教育が必要になってるんだろうな、とか色々頭をよぎりました。
自分の子供には、メディアリテラシーを身につけて情報をしっかりと取捨選択し、いたずらに踊らされない人になってほしいと願っています。
超簡単!手作りアドベントカレンダー
去年はKALDIでチョコレート入りのアドベントカレンダーを買ったのですが、今年はInstagramで見かけたかわいい手作りアドベントカレンダーに触発されて手作りしてみました。
ちなみにアドベントカレンダーとは…
アドベントカレンダー(Advent calendar)は、クリスマスまでの期間に日数を数えるために使用されるカレンダーである。アドベントの期間(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)に窓を毎日ひとつずつ開けていくカレンダーである。すべての窓を開け終わるとクリスマスを迎えたことになる。
思い立ってお菓子を買い込み、11月最終日の夜に子供が寝てから作り始めて、なんだかんだで2時間くらいかかりました。
茶封筒を縦半分に切り、一つ一つに日付をマジックで書いて、買って来たステッカーでデコレーション。お菓子を詰めたらホッチキスで口を閉じ、セロテープで日付順に貼り付けて、できあがり!
壁に直接貼ると壁紙が傷みそうだったので、もともと貼ってあった光沢のあるアルファベットポスターの上にメンディングテープで貼り付けてみました。
オリジナルで参考にしたものではないけれど、Instagramで見つけて参考にさせてもらったすてきなアドベントカレンダーはこんな感じのもの。
紐と洗濯バサミで吊るすアイディアがかわいい上に楽チンそうですてきです。文字の雰囲気や添えられたイラストがさりげなくおしゃれ。
封筒を三角形に閉じるやり方がすごいかわいい。厚みのあるお菓子を入れるにも良さそうなので次回はこれにしよう!
モノトーンでまとめるとシックな雰囲気になりますねぇ。ツリー型に並べるのもいいなぁ。
これもやってみたい!紙コップに蓋をするアイディア。考えた人えらーい!!
あんまり手作りとかしないのですが、時間がなくてできないだけでもともとチマチマと手を動かすのは大好き。
久しぶりに工作に没頭して、子供にも喜んでもらえて、夜中に頑張った甲斐がありました♥
エスパーでもメタリストでもない私たちだから
すみません、ワーキングマザーです。
”無理をせず普通に自分らしく生きたい”という気持ちを主張すると何かと「義務を果たさないくせに権利ばかり主張して」とか「大変なのはお前だけじゃない」とか「自分たちで選んで切り開いてきた道のくせに今更文句言うな」みたいなコメントがワラワラと湧いてくる世知辛い世の中。
子育て世代の主張が賛否両論様々な議論を巻き起こしている場面に頻繁に遭遇しては、厳しいコメントに身をすくめてそっとページを閉じています。
というわけで、すみません、ワーキングマザーです。
以前、人は未体験のことは実感を伴って理解できないんだから、強制的に体験させてみることにも一定の意味があるんだ、というようなことを書きました。
体験してみないと分からないのと同じように、私たちはエスパーでもメンタリストでもないんだから相手がどんな気持ちで、何を考えているか分からないわけです。
唯一わかる方法が言葉を媒介にすること。
気持ちや考えは言葉にして吐き出してもらわないと分からないんです。
気持ちや考えを心や頭にしまい込んでいる限りは、自分が本当に何を考えているのかは他人にわかってもらえません。なんとなく察してもらうことはできたとして、考えていることを100%理解してもらうことはできないし、気持ちに完璧にシンクロしてもらうこともできません。
自分自身の気持ちだって、SNSに吐き出してみて初めてきちんと自覚したりします。
言語化しないと、理解も共感もできないのです。
恋人同士だろうと、上司部下だろうと、夫婦であろうと、親子であろうと、相手の気持ちや考えを暗黙のうちに全て推し量るなんてことは不可能です。阿吽の呼吸なんて言うけど、それは日頃のコミュニケーションがあってこその賜物であって、日頃からコミュニケーション取れていない間柄では阿吽の呼吸は成立しません。
女性活躍推進や長時間労働の文脈でよく見かけるコメントに、次のようなものがあります。
「俺/私たちは不満も言わずに黙々と耐えて頑張ってきたんだ。(だからお前も文句言わずに黙って耐えろ。)」
でも先人達が黙って黙々と耐え忍んできたその結果が、非効率が改善されず長時間労働が常態化した今の社会。
今、私たちも黙々と耐え忍んでしまったら、今後もそれは変わることがなくさらに少子高齢化が進んだ時代を生きる子供達に受け継がれてしまう。
声をあげなきゃ、知られることもない。
知られることがなければ、問題にされることもない。
問題にされることがなければ、改善されることもない。
私自身、育休が明けて復帰した時に困難に感じることにたくさん遭遇して、その度にそのことを声に出して周囲に伝えるか、助けを求めても良いものなのか、とても悩んだ経験があります。
でもある日後輩の女の子に「いつも完璧に家事も育児も仕事もしてて、すごいなぁって尊敬してます。でも私にはできないと思うから、結婚する時には大好きな今の仕事を辞めなくちゃいけないかなって思ってるんです」と言われて決心しました。
今のしんどさを隠さずに周囲に打ち明けよう。
上司や同僚に相談して助けてもらおう。
家族にも辛いんだよって伝えよう。
実際にはその時の私は完璧とは程遠く、仕事のストレスで家で子供達に怒鳴り散らし、週の半分はお惣菜とファミレスご飯、家事は常に山積みで家の中はゴミ屋敷一歩手前、仕事だってこぼしまくりで毎日誰かに謝っているような状態でした。
そんな状態だったのに、外から見ると”完璧にこなせている”と見えているのか!
ということに愕然とし、絶望し、さらにそう見えていることが後輩を追い詰めているということに猛烈にショックを受けました。
だから、しんどい時、辛い時、無理だと思った時、理不尽を感じた時、とりあえずそう感じていることを声に出してみることにしました。
改善案や代替案を用意しておかないといけないんじゃないかと、でも行き詰まって何も思い浮かばないままおそるおそる声をあげたこともあります。助けてーって。
そしたら、聞いてくれる人が現れました。聞いてもらえるだけで自分の気持ちも整理できて前に進む勇気が湧いてきます。
アドバイスくれる人や手を差し伸べてくれる人も現れました。中にはトンチンカンなアドバイスもあったけど、無駄なアドバイスも手も一つもありませんでした。
もちろんご批判もいただきました。スルーすることもあったし、できずに傷つくこともありました。実は批判して来る人が悩みを抱えていていっぱいいっぱいだってこともありました。
声を上げることで、とにかく何かが動きました。前や後ろや斜めに、半歩、一歩、二歩。ただ立ち止まるだけでなく、とにかく動くだけで見えるものがたくさんありました。
結局元の場所に戻ったとしても、その場所は訳もわからずただ置かれた場所から、自分で選んだ場所になりました。
なので多分私はこれからも、言葉にして、声をあげていくと思う。
たぶんね。
転職で重視するポイントを5W1Hで考える
復職に向けた転職活動が佳境です。
フリーランスでもサラリーマンでも、とにかく何やるか定まった状態で年を越したいと思ってるのでそろそろ色々決断のタイミング。
就職先をどうやって決めるか、ポイントは色々あります。
どのポイントを重視するかも人それぞれで、ライフステージによっても優先順位が変わります。
私の場合はとにかく子供のお迎えに間に合うこと、突発的な体調不良に対応できて、学校の行事にも参加できること。
そして子供を預けてまで働くのですからやり甲斐のある仕事、もしくは今少しペースダウンしたとしても将来的にキャリアを発展させることができることは譲れません。
つまらない仕事のせいで不機嫌な顔をして毎日過ごした挙句に、心の余裕を保つための経済的余裕がなかったとしたら、おかーちゃんはカッコいい働く背中を子供達に見せられません。
給料、勤務体系、会社の規模、事業内容、発展性、ポジションの具体的な役割…
いろいろあるけど、5W1Hに落とし込んで整理してみるとこんな感じでしょうか。
WHAT:
- 何をやっている会社か、商材や事業内容
- 何をやるポジションか、具体的な職務内容
WHEN:
- そのポジションはどの程度の期間オープンになっているのか
(ずっと空いたままでハイヤリングを続けているポジションはものすごくタフなのか、採用担当がものすごい選り好みする人なのか、会社としてBest of bestしか採用しないというポリシーなのか、等) - (Whenとは少し違うかもしれないけど)仕事が動くスピードはどの程度か
(例えばIT業界なら動きが速いだろうし、ディベロッパー的なところだと成果がでるまで10年以上かかることもあります。自分が携わっていく中でどの程度のスピード感が求められるのか、また一つの成果を出すのにどれくらい時間がかかるのかというのは、若いうちは特に気にしたほうが良いポイントです。) - 会社はいまどういうフェーズにあるのか
起業したばかりのベンチャーなんか、創業数十年の老舗か。事業を拡大して発展していくフェーズなのか、すでに安定した収益を生んでいる事業の柱が確立できているのか、新しい収益の柱を創出していく段階なのか。フェーズによって同じポジションでも求められるスキルは異なりますし、会社全体の雰囲気も全く違ってきます。
WHO:
- あなたのボスになる人はどんな人か
- あなたの部下になる人はどんな人か
- 同僚はどんな人か
会社によっては一緒に働くことになるチームメンバーやカウンターパートとの面接が設定される場合もあります。萎縮せずお見合いと思って、この人と一緒に働いたらどんな感じか確かめてみてください。採用プロセスが終盤に近づいても不安が残っているような場合「チームの方と話をしてみたい」とリクエストしてみるのもアリです。 - どんな人が働いているのか
例えば男女比率や平均年齢はどうなっているのか。バックグラウンドはどういう人が多いのか。転職組が多いのか新卒生え抜きが大多数なのか。 - 社長はどんな人か
たかが社長一人と思うかもしれませんが、やはりトップの存在は非常に大きく、どんな人が社長を務めているかは会社全体の文化や勢い的なものに大きく影響します。大企業だと採用プロセスの中で社長に直接会う機会はあまりないかもしれませんが、Webサイトの社長からのメッセージを読んだり、面接する社員の人に社長がどんな人か尋ねてみるのも良いかもしれません。
WHY:
- あなたはなぜ転職するのか
- その会社はなぜその事業をやっているのか
- そのポジションはなぜ今採用しているのか
前任者が異動や退職でいなくなったのか、だとしたらなぜか。それとも新しく作られたポジションなのか。
HOW:
- どのような働き方か
フレックスや在宅勤務制度があるか、だいたい何時くらいまで残業してる人が多いのか、有給取得率、休みやすい雰囲気があるか、その他具体的に気になる制度があれば。
今回転職活動するにあたって、改めて働くことに対する自分の中の優先順位を整理することができたのは大きな収穫でした。
そして一つの会社で10人近い人と面接したり、社長や役員の方と直接意見を交換するような機会をいただいたりする中で、冒頭に挙げた譲れないポイントの他に自分のなかに会社を選ぶ指針がもう一つあるなということに最近気づきました。
それが、誰と働くかということ。
賢くてオープンマインド。
グローバルなバックグラウンドを持つ多様な人たち。
それぞれのポジションでプロフェッショナルとしての自負を持ち、お互いにインスパイアしながら学びあえる同僚。
そんな人たちと仕事がしたい。自分がそんな存在になれているかというのはこの際棚に上げて、そういう人たちと一緒に働きたい。
そしてもちろん、自分もそんな風に一緒に働く人のインスピレーションとなり、刺激となる存在になりたいと思います。
我が家の頼られたいイクメンに家事を分担してもらうまでの道のり(半ば)
「イクメンを育てる」みたいな言い方は全然好きではないのですが、それでもダンナさまにはイクメンとして成長してもらわないと日々の家庭運営がままならないワーキングマザーです。
しかも本格フルタイム復帰目前にして、相変わらずダンナは連日深夜帰宅。家事分担が固定化されたままで、このまま復帰して心身の健康を保てる気が全くしない。
少し前に我が家の家事育児分担が私:ダンナ=9:1に固定化されてしまった経緯を書きました。
我が家では私の復職に向けて、この分担を見直し始めたところ。
今月からフリーランスで業務委託を受けながら仕事を再開したので、分担見直しは待ったナシです。
どうやって見直しを進めれば良いのか、後ろめたさを感じず、「どうせ私がやればいいんでしょ」とこじれさせることなく、ダンナをいじけさせずに進める方法をずーっと模索してきました。
まだ途中経過ですが、分担を見直してきた経緯を整理してみたいと思います。
<家事育児タスクのリスト化>事実をオープンにする
まず、私自身がどんな家事育児タスクを抱えているか分からないくらいとっ散らかっていたこともあり、とにかくリストにしてみるところから始めました。
と言っても一からリストを作るのは面倒だし、どういうレベル感でリスト化すべきかもわからないので、AERAにアップされてたこちらのリストをベースに、我が家の事情を反映させたリストを作成。
ポイントは、頼られたいダンナ様が思わず「これは俺の出番だ」と思うようなリストであること。赤入れの際に「ここは手が回ってない」「一人じゃキツイ」など、自分ができていないポイントも書き入れておきました。
<リストの共有>さりげなく目につくようにテーブルに置いておく
このタスクリストをどうやって共有するかも、実はちょっと悩みました。
方向性としては
- 「これ見てみて」と直接見せる
- 目につくところに置いて気付いてもらう
と2つあるかなーと思うのですが、うまく切り出せる自信がないヘタレな私は後者を選択。普段からこの件についてコミュニケーションできてる夫婦なら前者が圧倒的にお勧めです。
”目につくところ”としてまずFacebookにさりげなく投稿とかも考えたのですが、わざとらしいのも嫌味ったらしくてイヤだ。それに単純にこのリストは「いいね!」と思って記事がシェアされてきた瞬間に私もシェアしちゃったのですが無反応だったことを考えると、わざわざもう一度シェアするのもアホらしい。
ということでプリントアウトしてダイニングテーブルに置いておくことにしました。
我が家の場合は私が寝た後にダンナが帰宅して、朝もバタバタとすれ違いなことが多い。顔を合わせて落ち着いて話す時間を平日に取ることは難しいので、まずは目につくように、読んでもらえるように、という作戦です。
<分担を考えてもらう>タスクリストを一緒に更新していく
翌朝、ダンナがプリントアウトした紙を手に持って眺めていたので、感想を聞いてみました。
するとダンナからは「このリスト、なにをもって一つのタスクとするか、という粒度がバラバラすぎない?」というざっくりとした感想と共に、私が赤入れして追加したタスク(おもに小学生関連)を見て「うちも子供が大きくなってきて、やることとか大変なポイントが変わってきてるね」とのコメント。
そこでタイミングを逃さずに「そうなの!なのでまず我が家のタスクリストとしてアップデートして、その上で分担を話し合いたいんだ。」と提案。そして「今転職活動しているけど、家事分担が今のままだと前の年収をキープしながら責任の重い仕事にはつけないと思ってるから、ぐっと年収を落として時間と精神的な余裕を保つしかないかなぁってちょっと諦めているところで…」と、これはずっとモヤモヤとしている本音をぶつけちゃいました。
ダンナはしばらくリストを眺めて色々考えてくれたみたいで、その日の朝だけでなく、しばらくリストを目立つところにおいては眺めていたのですが、しばらく経つとポツリポツリと「うちはこのタスクが追加であるんじゃない」とか「このタスクはリストでは朝ってなってるけど、現実的にはうちは夜しかできないね」など、具体的な感想やアイディアが出てきました。
そういったコメントをすかさず拾って、リストを更新。「我が家のタスクリストを一緒に作っているんだ」という実感をお互いに持ちながら、家事タスクの現実的な落とし所を共有していく感覚です。
<分担してもらう>ダンナの試行錯誤スタート
タスクリストを共有してからしばらくの間、ダンナ様はタスクリストを目立つところに置いては、何かの拍子に眺めていたものの、具体的なリストアップデートの提案はないまま。
この先をどう話し合おうかな〜と思って過ごしていたのですが、変化はリストではなく行動に現れました。
夜、取り込んだ洗濯物をたたみ終わる前に寝落ちしてしまったら、深夜に帰宅したダンナ様が綺麗にたたんで置いてくれたり。
休日には夕食を食べ終わったタイミングで「お皿は洗うからゆっくりして」と率先して洗い物を引き受けてくれたり。
逆に私が洗い物をしている日は「お風呂準備してくるね」と、お風呂を洗ってためて子供達に寝間着を準備させてたり。
おぉおおおおおお!感動です!
何かタスクを率先して引き受けてくれるたびに、じ〜〜〜んと感激しました。
大げさな、と思われるかもしれませんが、裏切られて悔しい思いをするくらいならと期待値を下げる努力をし続けてきていたので、ちょっとのことでも本当に嬉しかった!
「最近手伝ってくれるね」と言ったら、置いてあったリストを指差して「俺にできることはどれかなって思って。やってみないと分からないしさ」と。
ダンナ様はリストに対してフィードバックするのではなく、自分で動いてみて実務的なリストの現実性を探っていたのでした。
<タスク内容の精査>各タスクの期待値をすり合わせる
行動に変化が現れ、次は本格的に分担について話し合うというステップ。
そこで、分担した際にストレスの元となりやすい「家事に対する期待値をすり合わせる」ということをやっておきたいと考えました。
例えばダンナ様は埃に対する耐性が高く、私から見たら結構な量の埃が部屋の隅に溜まっていても気にも留めません。私はといえば、焦げ茶色のフローリングにちらほらと髪の毛や埃が見えた時点でイラッときてしまうタイプで、できれば毎日ルンバかけたい。
こういった意識の差が、家事の頻度や完成度、そして満足度に直結します。そしてここに差があればあるほど相手が家事をしていてもイライラしちゃうという結果に直結するので、私のこだわりポイントを全部なるべく具体的に書き出してみました。
例えば台所仕事でいうと、料理をした後はレンジ台が熱いうちにさっと布巾で拭く。食せにに空きスペースがある時は五徳も一緒に洗い、レンジ台はアルコールでしっかりと拭く。
お風呂場なら、お風呂上りにはお湯→お水をお風呂場全体にシャワーでかけた後にスクレイパーで水気を切り、ドアを開けたまま換気扇を回してしっかり乾燥させる。
こういうこだわりは、相手が家事をしている姿を見ていたとしても気づけなかったり、なぜそれをやっているのか理解ができずに無駄な作業に思えてしまったりするので、やっぱり明文化する必要があるかなと感じています。
というわけで、我が家の分担見直しはイマココ。
ダンナは仕事が本当に忙しく、連日深夜まで帰宅してこないため、平日はほぼ会話する暇がありません。そんな状態が続いているのでなかなか話し合いには至っていないのが不安だけれど、復帰は待ってはくれないのでちょっと焦ってます。
このまま自由の利くフリーランスとして再出発するか、内定もらった企業に就職するか。
就職するにしてもお給料は良いけど海外とのやりとりが頻繁に発生し、日本以外の地域に部下を持つようなタフなところは避けて、給料はグッと下がるけれど社員全員が19時には退社してオフィスが真っ暗になるようなWLバランスのとれた職場に行くか。
家事分担バランスも、キャリアと家庭のバランスも、本当に難しくて答えがありません。
さ、ブログなんて書いてないで子供達をお風呂に入れなくちゃ!!
お風呂上りの肌を一発保湿するオイル美容を愛用中です
お風呂上りのお母さんは忙しい。
自分の体を拭く余裕もなく、びしょ濡れのまま脱走しようとする子供達をバスタオルで包んでなんとか水気を拭き取り、保湿ローションを塗って着替えさえ、髪の毛をドライヤーで乾かして…
とかやってると自分の髪は変な癖がついたまま半乾きになっており、肌は無防備に乾いてカッサカサ(泣)
我が家は上の子が小1、下の子も年少さんになって、自分たちである程度は風呂上りのお支度ができるようになってきたので私もだいぶ余裕が出てきましたが、それでも化粧水、乳液、美容液…とやってる暇はありません。
そこで私は子供が生まれた数年前から、お風呂上りの肌を一発保湿する時短美容を実践しています。
方法はとっても簡単!
たっぷりめのオイルを手に取り、お風呂上りのびしょ濡れの顔に水となじませるように塗りたくる。
以上!
ものすごいシンプルですが、私は何年も化粧水も美容液もナシ、オイルだけで肌のコンディションを保ってきました。(とはいえここ一年くらい少し余裕が出てきたのと、加齢による肌の劣化が隠しきれなくなってきたので、化粧水、美肌美容液、コラーゲンを導入しました。)
さまざまな効能のあるオイルを使い分けることで美白や毛穴ケアといったことまでできていた、気がしています。(科学的に検証したわけではないので、あくまで個人の実感として。)
いろんなオイルを試してきましたが、中でもお気に入りの5つをご紹介します✨
名前の通りハーブっぽいナチュラルな香りに癒される、こういったオイルの中では粘度高く感じるしっかりしたオイル。
”透明感目覚める美肌オイル” とうたっているだけあって、全体的に肌が輝くような効果が期待できます。
二層式のオイルを振って混ぜて使うタイプ。SK-IIの特徴成分ピテラ層とオイル層に分かれていて、あの独特のピテラ臭もします。天下のSK-IIブランドというだけあって、疲れてたるみが目立ってきたなと思う時に集中的に使うとパリッと肌がアガる感じがあります。
アヴェダ(AVEDA) ビューティファイング コンポジション 50ml [海外直送品] [並行輸入品]
- 出版社/メーカー: アヴェダ(AVEDA)
- メディア: ヘルスケア&ケア用品
- この商品を含むブログを見る
全身に使えるマッサージオイルのコンポジションシリーズ。ラベンダーやベルガモットのナチュラルな香りがたまりません。かなりしっかりとしたオイルなので、使用量は他のものより控えめに。
保湿力が高いので、冬の手肌のかさつきや甘皮ケア、そして頭皮の乾燥などにもオールマイティに使えます。
火傷や傷痕の補修にも効くという、肌のリペア能力が期待できるオイル。出産前から妊娠線予防などにせっせと活用していたもので、出産後もそのまま愛用しています。
さらりとして肌馴染みが良く、水ともするすると混ざってすーっと肌にしみ込みます。ケチらずたっぷり使えるお値段なので、ボディの黒ずみやかさつきが気になる場所にもそのまま塗ったりして全身ケアしています。髪に使用してもべったりとせず、ドライヤーの前に馴染ませておくと程よいしっとり感が。
安定性が高く、長期保存しても劣化が少ないホホバオイル。皮脂バランスを整えてくれる作用が期待できるので、季節の変わり目や生理などでテカリが気になる時に活用しています。ホホバオイルは無印でも売っていて手軽に購入できるのもポイント。
アロマオイルをブレンドするキャリーオイルとしても優秀。
オイルもいろいろ出ていますが、ものによっては劣化が早く、少し放っておくだけで猛烈な酸化臭を放ち出すものもあります。酸化臭は本当に取れないので、もしそうなってしまったら残念だけど処分することをお勧めします。
化粧品ブランドから出ているオイルはその点も使いやすいものが多いので、オイルの扱いに慣れていなかったり、オイルを保管する場所が温度や湿度変化の激しい洗面所だという人は、化粧品ブランドのものが安心かもしれません。
これからの季節はちょっと油断するとあっという間に肌も髪も乾燥してしいますが、お風呂上りにささっとオイルで保湿しておけば、あとからゆっくり化粧水を塗ることもできます。オイルによってはブースターの役割を果たして、化粧水の浸透を良くしてくれるものもあるのでますます嬉しいですね。
オイルが古くなってきたら、劣化が進む前に思い切ってお風呂に入れてバスオイルとして楽しむのもアリです。全身とぅるんとぅるんになれますよ♪