The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

共感性恐怖と絶望 〜みんなアノ広告見ても大丈夫なの??

共感性羞恥、について、自分の過去の恥ずかしい経験や、肉体的な痛みにも反応してしまうという話を書きました。

書いた後で思い出したんだけど、恥ずかしいのと同じくらい、あるいはそれ以上に私が共感してしまうのが「恐怖」と「絶望」。後になって想いだして「そうだった」と思うほどに私にとっては当たり前の感覚だったのだけれど、これは周りに聞いてみると羞恥以上に同意してくれる人がいない。

 

どういうことかというと

 

虐待された子供の漫画の広告がまとめサイトなんかでよく出るんだけど、絵を見た瞬間に親に捨てられた子供の絶望がそのまま心に乗り移ってしまい息が出来ないほど苦しくなる


ニュースでも、誘拐されて暴行されて、とか、虐待の末、とかも映像を見た瞬間に恐怖と絶望がいっぺんに心を支配してしまい、手が震えるほどの衝撃を受けてしまう


貧困の底にいたり、社会制度の間で置き去りにされていたり、いじめに遭っていたり、そういうことで絶望と孤独を味わっているシチュエーションが目の前で展開されると、世界が真っ暗に暗転してしまうような感覚に陥る

 

 

震災後に繰り返し被災地の様子や被災した方々のドキュメンタリーが放映されるのも辛かった。特に再現ドラマ系は、見ながら静かにパニックに陥るような感覚がありました。
辛い境遇にある人たちから目を背けてはいけない、何が起こっているのか事実を受け止めて自分にできることを微力でもやらなくてはいけない、という変な義務感もあってしばらくは逃げずに見ていたのだけれど、耐えられなくなって震災関連の番組は一切見ないようになりました。

 

 

目の前からその映像なりが消えてくれれば10分くらいで回復するんだけど、ふいに思い出すとその度にフラッシュバックしてしまう
ニュースなどで短期間に集中して繰り返し見てしまうと、それこそ夢でうなされて夜中に汗かいて飛び起きたり、食欲がなくなるくらいの衝撃を感じてしまうのです。

 

数年前に、父親育児放棄されて布団の上で衰弱して亡くなったお子さんのニュースが大きく取り上げられたことがあったけど、未だにあれを不意に思い出してしまい、その度にその子が感じていたかもしれない気持ちを追体験してしまうこともあります。
布団の中から、叶えられない微かな希望と大きな絶望を、狭い部屋の中の小さな世界に見ていたであろう、その子の気持ち。

 

あー、これを書いてたらまた胸が苦しくなってしまった…

 

 

とにかくあの広告は本当に見たくないので、まとめサイトは極力見ないようにしてます。でもたまにブログにも貼られてて、不意打ち食らうと息が出来なくなるので本当にやめてほしい。

 

羞恥の方は慣れによってある程度克服できるようなのですが、恐怖や絶望は慣れることが難しく、とにかく避ける、切り離す、見ないようにすることしか対処方法がない、というアドバイスももらったので、これからも極力まとめサイトのリンクはクリックしないようにします。

 

 

ただ、喜びもかなり共感するので、感情全般に瞬時に強く共感してしまう傾向があるのかも。

 

 

 

話が逸れますが、これを書いていて、以前”視える人”に言われたことがふと蘇りました。曰く、
「あなたはとにかくポジティブなエネルギーの人。ネガティブなものを敢えて見る必要はない。プラスのエネルギーの真っ只中にいて、それを周囲に広めるのがミッションだから、常にポジティブであることに集中すると良い」
と。感覚的にとても納得できる言葉をもらってました。

タロットをしていても、基本的には相手の方のポジティブな面にフォーカスし、その力でネガティブな局面をどう打破していくのかというリーディングをしています。(ということに、今これを書きながら思い当たりました。)

 

 

この感覚が分かるという人、いないかなぁ…