で、スピリチュアルってどーなのよ
スピリチュアル。
…うん、怪しいです。
いまだにこの言葉の響きには慣れることができず、うさん臭さと照れくささと奇妙な好奇心を覚えます。
とはいえ私の2016年はこのキーワードとは切っても切れない一年でした。
タロットを習い、いろんな人に練習台になってもらってリーディングをさせてもらって、意識的に心のバリアを下げて”スピリチュアル”に立ち向かった一年でした。
立ち向かったとは大げさなと思われるかもしれませんが、スピリチュアルを否定しない、受け入れるための努力は、”共感性羞恥”癖がある私にとってはまさに立ち向かい、挑むような感覚でした。
「あー逃げたいよー、見なかったことにしたいよー」という気持ちとの闘い。
で、1年間立ち向かってみて、結局スピリチュアルどーなのよ?
と改めて振り返って考えてみました。
- 世界の解釈の方法が一つ増えた
現実世界で起きている出来事をどう捉えるか、その軸の一つとしてスピリチュアル的に捉えるというのもアリだなと、自分の中で世界を理解する枠組みが一つ増えた感じがあります。
トランプ大統領の登場を政治的な流れから解釈することもできれば、経済的な側面から読み解くこともできるように、そこに彼のオーラの強さなり守護霊なりを重ねて解釈する場合もあるんだな、という感じ。(あまり例が良くないけど。) - 今まで頭の回転の速さとか直観力だと思ってたことも、霊感と言えなくもないのかもしれない
勘の鋭い人っているじゃないですか。
普通なら「あの人頭の回転が速いから」みたいな理由付けをすると思うんです。もちろん知力能力や経験値の差も大きいと思いますが、そもそもなんか「つながりやすい人」っていうのもいるんだな、と思うようになりました。
それを直観力と呼ぶのか、霊感とか第六感と呼ぶのか、それだけの差なのかもしれません。
と思うと、霊感ってそんな大したことないじゃん、とも思えます。 - 「自分がどう感じるか」「楽しいか、心地よいか」を重視するようになった
これは単純にもう年齢的に根性やら体力勝負がキツくなってきた、ということもあるかもしれませんが(笑)。
自分が何か霊的なものからメッセージを受け取っているとしたら、その声に耳を傾けて従ってみてもいいんじゃないかなと思えるようになりました。
私は霊の声が聞こえるわけじゃないので、どうやって従うかというと最終的には”自分の直感に従う”ことになります。
それはつまり自分の気持ちに素直になるということでもあります。
いくつかの選択肢があったら、より楽しいと思える方、心地よいと思える方を選ぶ。単純にラクな方を選ぶのとも違い、チャレンジすることが楽しそうならそっちの道を選ぶ。今はチャレンジよりも穏やかな時間を過ごす時だと感じたら、チャンレジは先延ばしにする。
こうやって並べてみると、あんまり目新しい発見はなかったのかも(笑)。
そんなに騒ぐことじゃなかったのかもしれない。スピリチュアル。
恐る恐る遠巻きにしていた世界についに足を踏み入れ、おっかなびっくりカミングアウトした”スピリチュアル”。まだ「これで世界が開けた」みたいな実感はないですが、実生活における意識の変革とともに、なんとなく世界のとらえ方が変わってきた感覚はあります。
とりあえずは2017年も引き続き、ゆる~くスピリチュアルに挑んできます。
共感性羞恥について。
共感性恐怖のほうが一般的らしい。