解決策も代案も出さなくていい
議論されてる内容になんとなく違和感を覚える。
理論立てて説明できないけど、間違っていると感じる。
もっと良い方法がある気がしてならない。
あるいは
自分だけでは手に負えない問題を抱えてしまっていてにっちもさっちもいかない。
いろんな問題が絡み合って解きほぐせなくて、一つ一つ解決していくのが難しい。
対応に追われて目の前のことをこなすだけで精一杯で、根本的な問題解決に手をつけられない。
そんな時、不用意に反対を唱えたり、助けてほしいと相談すると、時に「じゃあ代案出して」とか、「どうやって助けたら良いか具体的に教えて」なんて言われた経験はないでしょうか。実際になくてもそう言われてしまうことを予測して言葉を飲み込んだことは?
でもあなたが見ている景色とは違う景色が見えている、それが他人。
考え方や経験値、人脈、権限、アイデア、知識。自分とは異なるそれらを投げ入れてもらうことで解決策が見つかるかもしれない。
たとえば、自分の業務をどんなに効率化しても、その業務自体の総量や、どういうプロセスに組み込まれているのとか、担当や部署を超えての効率化を図る、もしくは根本的に業務自体を見直すみたいなことは、もしあなたが一担当者だったら難しいと思う。
自分の権限を超えているというだけでなく、そこまで視界を広げられる情報を与えられているか、という点で、多分難しいんじゃないかなと思う。
自分のできる範囲で効率化するとか、できる限り調べてプランABCという選択肢を用意するとか、努力することは大切だと思う。でもそれがMUSTであることを常に要求されるのはとても苦しい。
努力しても、あなたには、あなたであるがゆえに解決できないこともある。
だいたい、努力の方向性が間違っていたとしたら、努力すること自体が無駄になってしまう。正しい方向に舵を切り、努力がちゃんと成果に結び付くものであるように方向転換をした方が良い場合もある。
逆に、あなたとは違う他人だからこそ解決できることが、世の中にはいっぱいある。
だから、本当に困ったら、あるいはずっとモヤモヤを感じているなら、解決策も代案も提示しなくて良いからその困りごとやモヤモヤを誰かにぶつけてみてほしい。
そうやってただモヤモヤをぶつけられた時には、愚痴を聞いて相手の気持ちを解きほぐし、共感し、違う視点を投げ込める存在でいたい。自分に解決できそうな道筋が見えるならそれを提案し、一緒に動くことで事態を動かせる存在でいられたら素敵だと思う。