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The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

小学生の私を打ちのめしたメディアリテラシー教育

子育て、自分育て 頭の体操

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こういうことを書いたのですが 

これを書いていて思い出した、印象に残っている学校で受けたメディアリテラシー教育が2つあります。

1つはアメリカの小学校で「バイアス」という言葉と概念を習ったときのこと。
2つ目は大学で受けた「メディアリテラシー」という授業での同級生達の反応のこと。

 

バイアス」という単語を習った日

私はアメリカの現地校に通っていた小学校6年生の時に、初めて「バイアス」という単語を習いました。その概念自体のインパクトと、学校でこういうことを習ったという衝撃と共にこの単語は深く心に刻まれました。

 

私が受けたのは、一つの出来事についてある視点から書かれた文章を読んで感想を述べあった後に、別の視点から同じ出来事についてかかれた文章を読むと全く違う感想になる、という授業でした。

最初に取り上げられたのは「お友達と遊んでいて喧嘩になった」みたいな、子供でも自分ゴト化しやすい事例で、当事者であるAさんとBさんでは言い分が全然違うよ、みたいな話。次に、あるニュースをXとYという異なる立場からそれぞれの切り口で書かれた記事を順番に読んでみる。

そこで、なぜ同じ出来事や事象を語っているのに、受ける印象がこんなに違うんでしょう?という投げかけがあり、それはどんな主張であれその主張にはそれぞれの立場からの「バイアス」がかかるからだよ、という説明がありました。

 

私が「バイアス」という単語とその概念に生まれて初めて出会った瞬間でした。結構難しい単語だと思うんだけど、あの授業で一発で頭に叩き込まれるくらいインパクトありました。

 

世の中のことはほとんどみんなバイアスがかかっている!!!

この衝撃といったら、小学6年生の私をしばらくの間打ちのめすのに十分なインパクトでした。

 

更に進めて色々な記事を読んで「これはBiased(バイアスがかかっている)と思う人?」「どんなバイアスがかかっている?」「Non-biasedにこのことを伝えようとしたら、どういう風にしたら良いと思う?」と進んで行く授業。反対の立場の意見も紹介する、読む際には必ずBiasedじゃないかを意識しながら読む、伝える立場になったときには自分自身がBiasedでないかを意識する、などなど、具体的なテクニックとともに学んでいきます。

そして最後に
「新聞もテレビも雑誌も、人が話すことも、基本的にみんなBiasedです。私たちは見聞きすることにバイアスがかかっているということを忘れてはいけません。」
「話すときにも無自覚にBiasedになりやすいです。」
「Biasedであるということを意識していないと、私たちは簡単に偏った考えを信じてしまいます。」
という風に授業が締めくくられたように記憶しています。

 

時間にしてたかだか1時間だか2時間くらいの、ごくシンプルな授業でした。
でも「バイアス」という概念に初めて出会った小学校6年生の私は、家に帰ってこの授業のことを興奮気味に両親に語り、その後20年以上を経ても鮮明に覚えているくらい印象に残る授業でした。

 

日本でこんな授業受けたことなかった!
という驚きとともに心に深く刻まれ、私が海外生活を体験して本当に良かったと感謝している出来事の一つです。

 

人はいつ「バイアス」とう概念に出会うのか

二つ目は大学生になってから受けた、その名も「メディアリテラシー」という授業。
大学1年生のいわゆる教養科目の一つだったと記憶しています。こちらはもう少し幅広く、メディアを読み解く力を体系的に、そして実践を通じて学ぶという授業でした。

 

ここでより印象に残っているのは、授業内容そのものより周りの学生の反応です。
私が小学生のときに出会ってからずっと頭の片隅に置いて意識をしてきた「BiasedかNon-biasedか」という評価軸に、大学生になって初めて出会う学生がたくさんいたことに何より驚きました。なんとなくそういうものがあると気づいていたけれど、それに「バイアスがかかるということ」という言葉が与えられて概念的に理解できるのは初めて、という学生が多かった印象。

 

私がアメリカの小学校で習ったことに、日本では大学生まで出会うことがないのかという驚き。そして私が通っていた大学はこういうことに関しては先進的な取り組みをしているので非常に有名なところだったので、もしかしてここ以外の大学だとメディアリテラシー的な概念に出会うことすらないまま社会に出る人がたくさんいるのかもしれない、ということに眩暈を覚えたのでした。

と同時に、多様な宗教的・文化的背景を持った様々な人種が寄り集まるアメリカでは、メディアリテラシーを身につけるということが日本よりも重視されているんだろうなと思ったのでした。

 

 

 

でも、トランプ大統領が誕生する経緯を見ていて、アメリカのメディアリテラシー教育って今はどうなっているんだろう?とか、ソーシャルネットワークの時代になって新しいメディアリテラシー教育が必要になってるんだろうな、とか色々頭をよぎりました。

自分の子供には、メディアリテラシーを身につけて情報をしっかりと取捨選択し、いたずらに踊らされない人になってほしいと願っています。