言葉は磨かれる。だけど、どんなに磨かれても届く人にしか届かない
ここ数日、なんか普段よりアクセス多いなぁと思ってちょっと見てみたら、どうもこの記事が読まれている。
で、なんだ???と思ってたら、先日、帰りの電車の中で「心屋独演会@武道館」とでかでかと印刷された金色に輝くパンフレット風のものを持っている人を見かけて、もしかしてこれ?!と。
相変わらず自己啓発本も心屋氏もそのコミュニティも苦手なのですが、電車で見かけたその女性はすごーく大切そうにそのパンフレットを抱えていて、私は素直に「よかったねぇ」と思いました。
彼の言葉に共感し、救われる人が武道館いっぱいに集まるくらいたくさんいる。そして、それだけの人の心に響く言葉を紡ぐことができる心屋氏はやっぱりすごいんだなぁと思います。
多分彼は、自分自身の経験から得た気づきをたくさんの人に伝えたいという思いがとても強いんだと思う。だから、より多くの人に届くように、より深く響くように、言葉を練って場数を踏んで、表現を工夫して、努力を続けてきたんだろうなと想像します。そういう努力を続けた人の言葉は本当によく磨かれている。
と同時に、どんなに言葉を磨いても届かない人には届かないのです。
それは良し悪しではなくて、好き嫌いに近い。ロジックよりも本能。
心に響く言葉は、年齢やタイミングによっても異なるでしょう。
誰が言っているかというのも大きい。
だから誰かに届けたいと思って努力して発した言葉が、意図した通りに相手に届かなくてもあまり落ち込むことはない。そういうこともあるんだよ。
で、私は何が言いたかったんだったかしら・・・