勉強って楽しいよ、と言ってあげられる親でありたい
芦田愛菜ちゃんが難関中学に合格したというニュースに続き、入学式で制服を着た姿のスクープ(?)写真が出たりしてました。
子供の小学校受験を経験した身からすると、中学受験成功は素直に「おめでとう!本当に頑張ったね!」と言いたくなるニュース。
ちょっと前になりますが、これに関連して回ってきたコチラ。
内容を読む前に、タイトルだけでフラッシュバックした記憶。
海外に住んでいた小学校高学年の頃に一緒に遊んだりしてた女の子が、やたらと勉強できる子や勉強すること自体をディスってたことを思い出したんですよね。
「女の子はバカな方が可愛い」
「勉強なんかしたらモテなくなっちゃう」
「勉強しても何の役にも立たない」
その子の親はそれなりに厳しく勉強をさせようとしていた印象があるので、それに対する反発だったのかもしれないのですが、とにかくそんな事ばかり言っていました。
そして実際に、彼女が宿題をやってくる事はほとんどありませんでした。
私も彼女も同じ通信教育をやっていたのですが、これも基本全パス。スルー。教材の山が封も切られずに机の上に山積みにされてました。
そして当時の私がこれをどう受け止めたかというと、すごく悲しかったんですよね。
なぜなら私は勉強楽しいぞと思い始めたところだったから。
当時私は赤川次郎やティーンズ文庫にハマって、本を読むのが楽しくて仕方ない。海外だと日本語の本がそんなに簡単に手に入らないので、「りぼん」の各ページの下に載っている読者の一言コメントとか、父親が定期購読していたビジネス誌や日経新聞まで貪るように読み漁っていました。
その延長で勉強も嫌いじゃなくて、なんというか「脳みそが鍛えられる感覚」が面白いと思い始めていた頃でした。練習するとスポーツが上手になるのと同じように、勉強するとなんか色々理解できるようになって、バラバラに思えていた事象の間の繋がりが見えてきたりするのが「これはなんか面白いぞ」と。
でもその子は「勉強やるなんて馬鹿だ」と切り捨てる。
なんか、せっかく発見した面白いことを批判されたように感じて、やけに悲しかった。
と同時に、「絶対そんなことないはずだ」という反発心もありました。
学校で習うことが日常生活の中の出来事と結びつくことも増えてきていたし、知らないことを新たに知るというのが純粋に楽しいと思えた。
なので自分の実感としては「勉強は案外楽しい」だったし、「自分がつきあうなら勉強ができて色々知ってる人がいい」と思ってから「勉強したらモテない」っていうことにも懐疑的でした。
ありがたいことに私の親はそんな私の気持ちをサポートしてくれて、父は自分がが勉強で学んだことが仕事に役立っていることを話してくれたし、母も私が本好きなのを知るとたくさんの本を読めるように色々とサポートしてくれました。
スポーツがとにかく苦手で体育の時間が苦痛な子供がいるように、勉強がどうしても苦手な子はいると思う。私はたまたま学校の教科でそこまで苦手なものがなくて、勉強よりも友達とうまくやることのほうが苦手で悩んでました。宿題はめんどくさいと思っていたけれど、根本的に勉強が嫌いだと思ったことはないといのは、今思い返すとラッキーなことだったのかな。
勉強って、学校の授業とか宿題がベースではあるけれどそれだけじゃない。子供たちが、学校の勉強が面白いと思ってくれているうちはその気持ちをしっかり後押しできる親でありたい。そして学校の勉強が面白くないと感じてしまったら、違う角度から学ぶことの面白さにスポットライトを当てて示してあげられる親でありたいです。
そんなことを思いながら、知り合い数人の「社会人大学院生になりました!」というFacebookの報告を羨ましさとともい眺める新学期。