フリーランス1年目の振り返り(超自分視点)
一昨年の秋ごろに個人事業主の開業届を出し、業務委託で約1年半ほどお仕事を再開してました。
フリーランスとしての覚悟を決めきれないまま、フルタイム週5の業務委託として1年半ほどご一緒させていただきましたが、契約が終わり、今またポッカリと人生の隙間時間が訪れています。
業務委託という契約形態ながら、最終的には部下7名のマネージャーとして、決裁権や人事権も預けていただいてチームを統括し、シニアマネージャーという肩書で積極的に新しいビジネス上の試みやチーム作りなどなどさまざまなチャレンジをさせていただきました。
度量の大きな社長さんに、どーんと信頼いただいて任せていただいたことにただただ感謝です。
が、最後の方は「これが本当に自分がやりたいこと(スタイル)だっけ?」という私の中での疑問が大きくなって無視できなくなったことと、会社側も「これは対価に見合った、会社として出してほしいアウトプットなのか」というところで私が認識していたポイントとのズレが生じてしまい、お互いに整理をするためにも一旦契約を終了することとなりました。
せっかくなので、はじめてのフリーランスとしてガムシャラに走り抜けた1年半を、少し冷静さを取り戻した今、振り返っておこうかなと思います。
超個人的な振り返り故、長いです。
覚悟不足だった「成り行きフリーランス」
そもそも私がフリーランスとしての第一歩を踏み出した時、明確な目的意識や覚悟があったわけではありませんでした。
いわゆる「小1の壁」にぶつかって退職を選んだ後、「このままフルタイムの会社員で、時間と場所に制約がある働き方は厳しそうだなぁ」と漠然と思っていたところではありましたが、明確にフリーランスを指向していたわけでもなかった気がします。
業務委託先は、たまたま正社員の求人があったので応募してみたところ「条件的に社員だと折り合わないが業務委託なら」とオファーをいただき2か月のトライアルから始まりました。完全成り行きスタートでした。
ゆえに、フリーランスとしてどういった働き方を求めるのか、どの程度の収入を得たいのか、といった基本的な部分が、フルタイム正社員時代からアップデートされないままなんちゃってフリーランスとして歩み始めてしまった。
勤務時間や報酬などの条件交渉も、なんとなく正社員時代をベースに決めてました。
徐々に強まった「コレジャナイ」感を解消できないまま…
「こうありたい」というイメージがないので、求められるままに業務を遂行しながらも、周囲に独立や起業をする人が増えてきたので話を聞いたりアドバイスもらったりするうちに「これは違うな」「こっちじゃないな」という試行錯誤を自分なりに積み重ねました。
ただ、「これだ!」というものに出会うというよりは、「コレジャナイ」にぶつかっては軌道修正する方が多かった気がします。
とはいえ、早々にチームを預かる身になってしまったがゆえに、チームを育てて結果を出すというプレッシャーを常に感じていました。自分自身の働き方を軌道修正することを諦めて目の前の業務に邁進せざるを得ない場面もあり、徐々にフラストレーションがたまっていってしまいました。
フリーランスこそ、すり合わせはこまめに、念を入れて
「クライアントが何を求めているのか」「対価は具体的にどういうアウトプットに対して支払われるのか」ということを、仕事を依頼する方とされる方が双方しっかりと確認しておくことは、フリーランスとして独立する際のいろはのいです。(と、いろんな本やサイトに書いてあります。)
にもかかわらず、なんちゃってフリーランスとしてスタートしてしまった私はここの意識が薄く、自分に何が求められているのかという確認を怠ってしまっていました。
当初は上司(と言っていいのかな?)でもある社長と色々と話して、お互いにすり合わせが出来たと思ってのスタートでした。
でもビジネス環境って変わりますよね。環境が変われば求められることも当然変わるわけで、その変化のタイミングでのアップデートがうまくできなかったんですね。
クライアントである上司にくらいついて、自分から「これで大丈夫ですか?」という確認をせず、「いや聞いてないし…」と先方からインプットしてくれることに甘えていたことは大いに反省しています。
クライアントと対等な関係でいるために
もう一つ厄介だったのが、最初社員採用の面接を受けていたこともあり、直属の上司にあたる社長に対して上下関係を強く意識してしまったことでした。
本来、業務委託でフリーランスなので、お互いに合意した業務を遂行して成果を納品物として納め、納品物に対して対価をいただく、という意味では割とフラットで対等な関係なんじゃないかなと思います。
でも私はいわゆる普通の上司部下という関係の意識のまま、コミュニケーションも上司部下を想定した「無難な」形へとどんどん小さく収まっていってしまいました。
また、会社の中にどっぷりと常駐してチームを抱え、部門長会議にもレギュラーメンバーとして参加していたので、下手に台所事情が見えてしまい、「今はこれやるの難しいですよね…」とか「個人的には今すごく必要だと思うのですが、会社として優先順位があげられないというのであればこのプロジェクトは後回しにしていただいた方が良いかもしれませんね」みたいな奥歯にものが挟まったような意見が増えていってしまいました。
完全に外の人としてアドバイザー役で入っている方が何人かいたのですが、この方たちは台所事情には理解を示しつつ、ズバズバとその時に必要なアドバイスをし、目指すべき姿を遠慮せずにぶつけていました。
社内のメンバーはその勢いについていけずに完全萎縮。
それを間近で見てしまっていたのでなおさら、なぜか私がバランスを取ろうとして遠慮がちになっていってしまったというのもありました。
クライアントと対等な立場で、公平で、ちょっとだけストレッチなゴールを共に目指すために、どうするのが正解だったのかまだ分かりません。
どこまで自分がタスクをやる人になるのか
それでも新しいチャレンジをいくつも仕掛けたので、業務量は常に多くてあふれ気味でした。
チームの残業代が増えることも避けなくてはならなかったので自分自身で細かいタスクまで引き受けまくって埋没していった、というのも、全体的かつ中長期の視野で見て、仕掛けていくということが難しくなってしまった要因だと反省しています。
ただ、戦略コンサルみたいな、ヒアリングしてペーパーまとめて、社員を巻き込んだ風なワークショップをちょっとやってみる、みたいなのは実際どの程度その企業に貢献できるものなのか。
個人的にはこういうのって一過性で、最終的には中の人がしっかり意識改革しながら覚悟を決めて推進してかないとどうしようもないと思ってるので、自分もタスクを引き受けてメンバーと同じ土俵に立ちつつ、外からの風をいかに入れていくかという匙加減がポイントになっていくんだろうなと思っています。
まだその匙加減がどういう塩梅なのかは模索中ですが。
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と、なんかいろいろと思いつくままに振り返ってみました。
一つだけ、次に向けて心に強く刻まれたのは、次に選択肢があるのであれば「フルタイムで会社に常駐する業務委託より、フレックス在宅勤務OKの正社員を選ぶ」ということです。
フリーラスの社会的な立場の弱さ、保険や税金手続きの煩雑さは半端ないです。
事務手続きが大の苦手で、安定した環境にいないとすぐ不安でぺちゃんこになってしまう自分がこの先フリーランスを続けられるのか、かなり自信喪失しました。
子供の夏休みが始まってしまったので、とりあえずは夏休みを子供と過ごし、秋以降にちゃんと仕事を再開したいと思っています。
さて、どうなることやら。
ズボラ完璧主義な人のための”ついで”&”ながら”掃除 〜ご飯のついで編
昨年末は大掃除を放棄した面倒くさがりやで完璧主義なワーキングマザーです。
完璧主義者にこそ”ながら&ついで”掃除をお勧めしたい!
ということでズボラ完璧主義者の私でも続いている究極の”ながら&ついで”掃除をご紹介します。
最初は、ご飯の準備〜片付けの合間にやっている”ながら&ついで”。
①コンロは熱いうちにどんどん拭く
油汚れはあったまるとびっくりするくらいスルリと落ちます。
なので鍋をコンロから下ろしたらすぐにささっと水で濡らした布巾で拭いています。洗剤なしでもすごくきれいに汚れが落ちます。お湯を沸かして吹きこぼれたりしたらチャンス!そのお湯を布巾で拭くついでに気になる周囲の汚れを拭き取ります。
さらに、コンロの周囲が温まっている間に壁やレンジフードあたりまで手を伸ばして、気になる部分だけさっと拭いておくと汚れがたまりにくくなります。
ただし、熱々の五徳にうっかり触ってしまって火傷するリスクがあるのでご注意。
コンロが冷えてしまった場合はキッチン用のアルコールをシュシュっと吹きかけると油汚れが取りやすくなります。
五徳は一週間に一度を目安に食洗機に入れてます。食洗機の高温でこすらなくてもピカピカに!
②電子レンジも使った時が掃除どき
コンロと同じ原理で、電子レンジも庫内が温まっているうちが掃除どき。
特に湯気がたくさん出るものを温めた時は、蒸気で庫内の汚れが浮いている状態なので冷める前にすかさずサササッと固く絞った濡れ布巾で拭けばかなりきれいになります。
大型の食洗機があるお宅では、角皿は食洗機にお任せしてみてください。コンロの五徳同様、高温で洗浄されるのでピカピカになります。
③皿洗いのついでにシンクも洗う
1日に一度(だいたい夜ご飯の後)、お皿を洗うついでにシンクも洗剤をつけたスポンジでささっと洗います。
私は皿洗い用のスポンジがヘタってくるとシンク洗い用に降格させ、2つのスポンジをスタンバイさせています。激落ちくんを3〜5センチ角くらいに切ったものもたくさん用意しておいて、気が付いたらキュキュッとそのあたりを磨くようにしています。
シンクを洗剤で洗ったら、最後に手を拭く用のタオルでさっと水分を拭き取ります。この時にちょっと力を入れて蛇口周りを拭けば気持ちよくピカピカに光ってくれます。
キッチンのタオルってすぐにびしょ濡れになるので、こうやってシンクを拭き取ったらそのまま洗濯へ。交換が楽なように小さめのハンドタオルをたくさん用意してどんどん使い回しています。
この洗剤入れは片手で洗剤が出せて本当にラク!
④ テーブルを拭くついでに床も拭く
5歳児と8歳児が食べ終わった後にダイニングテーブルの下を覗くと、うんざりするほど食べカスが落ちてます。
これを放っておくと床にこびりついて、かなり力を入れてゴシゴシとこすらないと落ちなくなる上に、ホコリと一緒に固まったところに椅子を引いたりするとフローリングが傷つく原因にもなります。さらに放置するとカビが生えます(恐
なので、テーブルを拭き終わったら、その台布巾でそのまま床も拭いています。
テーブルを拭く布巾で床を拭くのに抵抗があるかもしれませんが、床まで拭いた布巾は漂白剤成分の入った石鹸でしっかりと洗うようにすれば大丈夫。
というか、毎日床をきゅっきゅと拭いていたらテーブルと大差ないと思えてきてしまったんですけど、やっぱりダメですかね…
⑤レンジフードは食洗機に任せた
年末大掃除の一大イベントといえばレンジフードの掃除。
大きな食洗機があるお宅に限定されてしまいますが、これも食洗機に突っ込んでしまうのが正解!
洗い物が少ない時、手洗いしてしまって食洗機が空いてる時がチャンス。慣れればレンジフードを外すのはそんなに手間ではないので、エイヤと外して食洗機へ。多めの洗剤を投入して丸洗いします。
だいたい月一から四半期に一度を目安に洗っておけば油でギトギトになることもありません。洗ったらレンジフード用のフィルターを使用するとさらに油汚れがつくのを防げます。
ここ数年は主婦とワーママを行ったり来たりしているので、まとめて家事のための時間が取りやすい主婦の時に家の中の収納や導線、掃除ルーチンの見直しをして、ワーママの時は徹底的に効率化するのを繰り返しています。
なので掃除はけっこうイイ線言ってると思うのですが、家事の中でも「片付ける」「仕舞う」が群を抜いて苦手で大嫌いなので、モノがあふれかえってしまうのだけはなかなか解消できずにいます。
いっそ、整理収納アドバイザーさんに来ていただいて、断捨離したいなぁ…
Mashing UPは小さなおまじないだった
Mashing UPというイベントに参加してきたら、ちょっとしたおまじないをかけてもらったよう気持ちになったよ、というお話です。
手元にはA4プリントアウトの裏紙10枚にびっしりのメモが残されていて、これはもったいないということでブログのリハビリがてら何回かに分けてまとめて行こうと思います。
MASHING UPは、”UNLEASH YOURSELF"をテーマに、ジェンダーや年齢、人種、信条など私たちを意識的に、そして無意識のうちに括っている様々なカテゴリーに縛られるのではなく、カテゴリーの存在を理解したうえで新しい可能性や選択肢をどうやって見出してくのか、一人ひとりがその人なりの答えを見つけることを目的としたイベント。
フリーランスにチャレンジしようと思い立ち、会社員ではなく業務委託という形でお仕事を再スタートして約1年。フルタイムで週5日出社がベースの業務委託は、自分が思い描いていたフリーランスの形とはかなりズレがあって悩んでいたところだったので、何かヒントがあればと藁にも縋る想いでの参加でした。
イベントに参加することで、「魔法にかけられたようにやる気に満ち溢れ、明日からやることが明確になった!」と心の中で仁王立ちしながらガッツポーズ決める自分に大変身!!
…というようなことはなかったのだけれど、しいたけ占いを読んだ時のように「あ、そうだったのかも」「そっか、それでいんだね」みたいな、心の中で小さな頷きを積み重ねて「なんとかなるかも」と思わせてもらうくらいの、ちょっとしたおまじないをかけてもらったような時間を過ごすことができました。
なにしろA4用紙10枚分のメモという相当なインプット量なので、消化してまとめるにももうちょっと時間が欲しいところ。
今日は備忘録として、個人的に受け取った”小さなおまじない”の言葉をいくつか並べておこうと思います。
(登壇者の皆さま敬称略でスミマセン)
キャリアアップしたいとも、目指そうとも思っていなかったけど、目の前のことをひたすらやってきたら気づいたら役員になってたんですよね
(矢野 絹子 / KDDI株式会社 渉外・コミュニケーション統括本部 コミュニケーション本部 宣伝部 部長)
「”プチプチ”をつぶすような感覚」と表現した方がいらしたんですけど、ひたすら目の前の仕事を一つ一つ潰して来たら今のポジションにたどり着いたという女性は本当に多い
(浜田 敬子さん / Business Insider Japan 統括編集長)
マネジメントなんてスキルだから、やり方を学んで練習すればだれでもできる
(藤原 かおり / カルビー株式会社 執行役員 フルグラ事業本部 本部長)
「石の上にも三年」が一番キライな言葉
(荻野 みどり / 株式会社ブラウンシュガーファースト 代表取締役社長)
20代から30代って、女性はどんどん役割が増えていく。求められる役割が多すぎてこんがらがっちゃうから、役割を整理するように心がけているんですよね。ー 私の場合は、役割ごとに何が欲しくて何が満たされていないかを整理したんです
(荻野 みどり/ 株式会社ブラウンシュガーファースト 代表取締役社長)
日本って、新卒で入社したらキャリアは人事部に丸投げしてますよね
(小林 明子 / BuzzFeed Japan株式会社 特集エディター)
僕は世の中の流行に対して斜に構えちゃうところがあったんですけど ー 大きな流れとか変化は必ず来るから、最近は流れが来た時には無視したり斜に構えたりしないで、乗ってみるようにしてるんです。
(佐々木 大輔 / freee株式会社 創業者・代表取締役CEO)
社会の変化のスピードが速すぎて、自分たちの常識を子供に伝えても意味がなくなってる。それってシンドイこと。
(田中 俊之 / 大正大学 准教授)
マーケティングはしないんです。
商品っていうのは作品だと思ってるんです。作品はマーケティングなんてしません。作品はコンテクストで作られる。
(遠山 正道 / 株式会社スマイルズ 代表取締役社長)
前例がないこととについて、「どう思いますか?」って聞かないで、「どうやったらできると思いますか?」って相談するようにしてます。
「どう思いますか?」って言われたら「NO」って言うしかなくなるから。
(藤本 あゆみ / 一般社団法人at Will Work 代表理事)
”お金の暴力性”
(鎌田 恭幸 / 鎌倉投信株式会社 代表取締役社長)
私は1935年X月X日生まれで…まだ82歳です。
(若宮 正子 / プログラマー)
多くのセッションに共通してたこととして
- 成功してる人ってみんなとにかく楽しそう
- 「目の前のことをコツコツとこなしてきたら、求められる仕事をただ一所懸命にやってきたら、気づいたら今の場所にいた」という女性がめちゃくちゃ多い
- 2と真逆のようだけど、同じように「こだわり」や「芯」「軸」と呼べるようなものを失わずにこだわり続けてきた人もめちゃくちゃ多い
- 人によって気づきやきっかけのポイントは様々で、自分が常識だと思っていることが他人から見るとものすごい発見のように受け止められることもある
というのは繰り返し繰り返し感じたことでした。
4番目に関しては、この気づきを受けて
- 他人のきっかけに対して自分が同じようなリアクションが取れない、行動が起こせないと落ち込む必要ないんだな
- 自分の経験やスキルも棚卸しや人と話してみることで、意外な強みを発見できるのかも
と思えたのも良かった。
というのも、
東日本大震災をきっかけに生き方を大きく変えた人たちを見て「私も同じように震災に遭ったのに、それがきっかけで大きな一歩を踏み出したり、変化を促すようなアクションを取れていない」っていうのがずーっと心に引っかかって小さな負い目となっていたのですよね。
それでもいいんだと思えたのは、私の中でここ数年くすぶっていた呪いが解けたおまじないの瞬間でした。
つづく。
折れそうな心を奮い立たせてフリーランスに再チャレンジしてみようかと思う
もはや読む人もいないであろうこのブログ。
ぷつっとエントリーが書けなくなって、でもうっすらとずっと気になっていたのだけれど、それでもまだ書けないでいたら、8か月くらい放置してました。
フリーランスとして歩み始めた道のりは、心身共に満身創痍になりながら、1年経った今すっかり暗礁に乗り上げていますが、諦めずにもう少しチャレンジしてみようと思ってます。
人生色々あるのですが、もう少し頑張ってみようと思ったきっかけがこれ。
ブランクをあけてしまったら二度と正社員としてバリバリ働けない、という恐怖感が、出産後に復帰して約7年間ひたすら私を無理してでも仕事にしがみつかせている。
時短も、マミートラックに乗ったら抜け出せないという恐怖で取ることができないし、在宅が自由にできる環境だと時短しても家で仕事するだけで給料減る分だけ損だよねという貧乏根性な計算も働いてしまって使えない。
フルタイム無制限正社員だけが「正しい」働き方だという刷り込みは私にもものすごいある。 そして、正しいかどうかはさておき、バリバリと責任のある仕事をする楽しさを知ってしまったらもうこれなしに生きていけない。
ほんの少し専業主婦をやってみて、これはこれでものすごい仕事だなと思ったのだけれど、自分がそれに全く向いていないことも思い知った。
なので正確には、バリバリ働くチャンスを奪われるのが怖くて、時短もブランクも自分に許すことができないのです。
でも本来、子育て以外の理由であっても、例えば単純に、転職の合間に半年なり一年なり時間を作っていろんなインプットしたり、仕事から離れてしっかり英気を養う時間があっても良いと思う。
子育てだけじゃなくて、いろんなブランクの理由があって良いはず。
今の私は「出産のため」「子育てのため」っていう理由で多少のブランクは説明がしやすいけれど、本来サバティカルのような時間が誰にでもあって良いはずだということは、過去に転職するたびに思っていた。
(転職の時だって有休消化できればラッキー、それも長くたって2週間くらい休めたら御の字。3か月くらい空いてもいいじゃん?と思うのだけれど、保険や年金の手続きがめんどくさすぎるという、これまた超しょーもない理由で断念したりした。)
とにかく日本は、ブランクに厳しい。
職安に行けば「3か月以上ブランクがあると、合格率が50%以上下がります」とか脅されるし、転職エージェントも「大学院などキャリアにとってプラス材料となる理由でない限り、ブランクはあけない方が良い」なんて言ってくる。
人それぞれタイミングってものがあってだな…と、ぼやきたい気持ちにもなるけれど、ぼやいたところで本当に就職できなくなったら困るわけで、グッとこらえて言葉を飲み込むのだ。
っていう話をFacebookでツラツラと書いてたら、正社員じゃない働き方をしてる人や、海外で生活してる人から「案外そんなこともないよ」というコメントをもらったり、事例を紹介してもらったりした。
ということで、一度心折れそうになったフリーランスの道を、もう一度自分なりに見極めるべくチャレンジしようと思ってます。
以上っ。
勉強って楽しいよ、と言ってあげられる親でありたい
芦田愛菜ちゃんが難関中学に合格したというニュースに続き、入学式で制服を着た姿のスクープ(?)写真が出たりしてました。
子供の小学校受験を経験した身からすると、中学受験成功は素直に「おめでとう!本当に頑張ったね!」と言いたくなるニュース。
ちょっと前になりますが、これに関連して回ってきたコチラ。
内容を読む前に、タイトルだけでフラッシュバックした記憶。
海外に住んでいた小学校高学年の頃に一緒に遊んだりしてた女の子が、やたらと勉強できる子や勉強すること自体をディスってたことを思い出したんですよね。
「女の子はバカな方が可愛い」
「勉強なんかしたらモテなくなっちゃう」
「勉強しても何の役にも立たない」
その子の親はそれなりに厳しく勉強をさせようとしていた印象があるので、それに対する反発だったのかもしれないのですが、とにかくそんな事ばかり言っていました。
そして実際に、彼女が宿題をやってくる事はほとんどありませんでした。
私も彼女も同じ通信教育をやっていたのですが、これも基本全パス。スルー。教材の山が封も切られずに机の上に山積みにされてました。
そして当時の私がこれをどう受け止めたかというと、すごく悲しかったんですよね。
なぜなら私は勉強楽しいぞと思い始めたところだったから。
当時私は赤川次郎やティーンズ文庫にハマって、本を読むのが楽しくて仕方ない。海外だと日本語の本がそんなに簡単に手に入らないので、「りぼん」の各ページの下に載っている読者の一言コメントとか、父親が定期購読していたビジネス誌や日経新聞まで貪るように読み漁っていました。
その延長で勉強も嫌いじゃなくて、なんというか「脳みそが鍛えられる感覚」が面白いと思い始めていた頃でした。練習するとスポーツが上手になるのと同じように、勉強するとなんか色々理解できるようになって、バラバラに思えていた事象の間の繋がりが見えてきたりするのが「これはなんか面白いぞ」と。
でもその子は「勉強やるなんて馬鹿だ」と切り捨てる。
なんか、せっかく発見した面白いことを批判されたように感じて、やけに悲しかった。
と同時に、「絶対そんなことないはずだ」という反発心もありました。
学校で習うことが日常生活の中の出来事と結びつくことも増えてきていたし、知らないことを新たに知るというのが純粋に楽しいと思えた。
なので自分の実感としては「勉強は案外楽しい」だったし、「自分がつきあうなら勉強ができて色々知ってる人がいい」と思ってから「勉強したらモテない」っていうことにも懐疑的でした。
ありがたいことに私の親はそんな私の気持ちをサポートしてくれて、父は自分がが勉強で学んだことが仕事に役立っていることを話してくれたし、母も私が本好きなのを知るとたくさんの本を読めるように色々とサポートしてくれました。
スポーツがとにかく苦手で体育の時間が苦痛な子供がいるように、勉強がどうしても苦手な子はいると思う。私はたまたま学校の教科でそこまで苦手なものがなくて、勉強よりも友達とうまくやることのほうが苦手で悩んでました。宿題はめんどくさいと思っていたけれど、根本的に勉強が嫌いだと思ったことはないといのは、今思い返すとラッキーなことだったのかな。
勉強って、学校の授業とか宿題がベースではあるけれどそれだけじゃない。子供たちが、学校の勉強が面白いと思ってくれているうちはその気持ちをしっかり後押しできる親でありたい。そして学校の勉強が面白くないと感じてしまったら、違う角度から学ぶことの面白さにスポットライトを当てて示してあげられる親でありたいです。
そんなことを思いながら、知り合い数人の「社会人大学院生になりました!」というFacebookの報告を羨ましさとともい眺める新学期。
空っぽなんです
ブログの更新ができていませんでした。
書きたいと思うことはいくつも浮かんでいて、Facebookでシェアしたりはしていたのですが、文章にまとめるにはどうもエネルギーが足りなくて、ブログ更新までたどりつけずにいます。
頭の中が常に空っぽ
慢性的な肩こりで頭痛とめまいが止まらず
直感も全く働かなくてまるで目隠しされて耳をふさがれているような感覚
なので日常の中にあるちょっとした段差にいちいち躓いて
寝ても寝ても寝ても寝ても眠い。
そんな感じなので、ブログが書けないでいるんです。
っていう趣旨のことを書こうと思って、それすら書けないまま時間が過ぎて行っていました。
書きたいことはいっぱいあるのだよ。
でもちょっと、いろいろ見直してリセットしてチャージしてきます。
とりあえずマッサージかな・・・
勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に批判しないでほしい
どこからどう突っ込んでよいのかもわからないくらい、お粗末すぎる記事にゲンナリ。
堀北真希が引退することが、「結局女性は結婚したら家庭を守らなくちゃいけないのね」という失望感を生み、安倍内閣が推進する女性活躍に大きなダメージとなるだろう。と、3ページにも渡る記事を要約するとそういうことだ。
少し前まで女性は「総合職を選んだからには結婚も子供もあきらめて仕事にまい進する」ことを期待され、逆にそれ以外の女性は「結婚したら家庭に入り、仕事はパート程度にして家事と子育てに専念せよ」とのプレッシャーに晒されていた。
その前は、そもそも女性が働くというのは「働かざるを得ない事情があるような、特殊な家庭事情を抱えている」とみなされていて、保育園が「保育に欠ける」家庭に対する福祉に位置付けられているのはその名残だ。
そして今度は「女性活躍推進」の大号令の元、「女性は一部の総合職の人だけじゃなくて全員が働き、結婚して子供も産み、育て、仕事の手を抜かず、親が老いたら介護もよろしくね」と期待されている。そのことに対して当事者であるワーキングマザーは「無理ゲー…」と絶望感を味わい、その姿を見ている若い世代は結婚にも子育てにも希望を持てなくなっているのではないだろうか。ワーキングマザーを部下に抱える男性社員も、ワーキングマザーを妻に持つ夫も、「そんなこと言っても、まあ無理があるよね」と思っているというのが本当のところじゃないかと思う。
女性は過去にも、そして今現在も、特定の役割を期待され、それに応えるべく頑張ってきた。
この記事で一番気持ち悪いのは、女性活躍とか言っても結局それは「結婚して子供が生まれても働き続ける」という一つの型だけがお手本とされているに過ぎないということ。
結婚するもしないも、子供を産むも産まないも、個人のレベルで見れば自由な選択肢の一つであるべきだ。(少子高齢化という課題を抱える日本という国家レベルで見ると、結婚して子供産んでほしいといのはあるとして。)
女性活躍推進だって、近視眼的に結婚・出産のタイミングに限定して女性が無理を押して働き続けることがよしとされるのではなく、結婚・出産のタイミングで一時的に家庭にウェイトを移す人がいたとしても、また仕事にシフトしたくなった時に戻ってこられることが重要だと思っている。今無理を重ねているワーキングマザーを直接支援するのはもちろんとして、社会全体ではその先を見据えた柔軟な働き方をいかに作っていけるのかが本丸となるはずだ。
仕事が大好きな人が、子供が生まれたら予想以上にかわいくて離れがたくなり仕事から距離を置くケースもある。でも子供が育って手を離れてくると、また働きたいという思いが首をもたげる。今の日本では仕事のブランクはマイナス要素でしかなく、仕事から数年遠ざかった後に元通り復帰することはほぼ不可能だ。そういうことも含めて「活躍できる人を増やす」こと、今という時間軸で切り取ったこの瞬間に働く人を増やすだけでなく、もっと長いスパンで見たときに働く人の総量が増えるような施策こそが重要だと思う。
なにより、この記事のように周囲に勝手に期待され、勝手に失望され、勝手に批判されることに、私たち女性はもううんざりしている。
そして実は、男性だって同じでしょ。
一家の大黒柱として、家族と過ごす時間を犠牲にして長時間労働に耐え、無茶な人事異動や転勤にも黙って従う。子供の教育や地域活動に関心があってもそこにいるのはママばかり。弱音を吐くことは男らしさに欠けるとみなされ、女性以上にレースから降りることが許されない。
画一的な期待値を設定することではなく、個々の希望に寄り添って期待値をすり合わせていきたいと思う。