The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

”引き寄せ力”と”やり抜く力” 〜成功にたどり着く二つの道筋

 最近読んでいる本2冊

 

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

 

 

どちらもどっしりボリュームがあるのでまだ読了していないのですが、集中力を持って読み進め続けるにはいずれも翻訳がイマイチ肌に合わず(特に『思考は現実化する』)、2冊の本を行ったり来たりしながら日々ちょっとずつ読み進んでます。
(こういう時Kindleは重い本2冊持ち歩かずにすむのでとても楽チン。)

 

行ったり来たりしながら読んでいるうちに、ふと気づいたことがあるので、今日はそれについて。
気づいたことというのは、この2冊は目指すところは”成功”という同じゴールという点で共通しているのに、そこにたどり着くまでの”信じる力”について真逆のことを述べている!ということです。

 

成功を信じ、それが達成された時の具体的なイメージを持つことを勧める「引き寄せ力」

https://www.instagram.com/p/BJ5lFCmDDBo/

いわゆる”引き寄せの法則”の元祖として有名な『思考は現実化する』では、成功がすでに達成されたと自分に信じ込ませること、具体的な目標達成イメージを抱き続けることで、そのイメージが現実になる、ということを説いています。

ここで強調されているのは「私は必ず成功する」と信じることが何よりも大切だ、ということ。

目標を達成すること、成功を手に入れることを疑ったり、自分には無理かもしれないと思ってしまうと、その疑いや諦めの方を引き寄せてしまうので、引き寄せの法則的には否定的な未来予測や自己否定は絶対NG。

常に「私はできる」「っていうかもう出来てる」と信じて、その状態に向けて努力をし続けるといつの間にかその状態になっているよ、というお話。

 

現状に満足せず、未来を楽観せずることで持続的な「やり抜く力」が発揮される

https://www.instagram.com/p/6ROB9_sqog/

かたや”GRIT”と呼ばれる”やり抜く力”は、「今の自分ではまだまだ足りない」「あんなすごいこと自分には到底無理だ」と、現状や未来に対して決して楽観的ではない。mしろ否定的だからこそ、より上を目指して”努力し続ける”ことで最終的に成功する率が上がることを、著者は調査の結果を交えて実証していきます。

ここで重要なのは、才能を持っている人が陥りがちな「私はできるから」と安易に信じて安心してしいまうことで、努力することがおろそかになってしまう罠にハマらないこと。自分を過信することなく、等身大の自分、あるいはもしかして過小評価された自分を乗り越えようとすることを、努力し続ける原動力にすることです。

そして”やり抜く力”を持っている人は、努力し続けて昨日の自分を今日の自分が超えていくことに喜びを感じ、明日へのモチベーションにできるんだよ、というお話。

 

 

到達するゴールは同じなのに

”引き寄せ”も”GRIT”も、「強く信じて努力し続けることで成功できる」という点では共通しています。

たまにどっちの本を読んでいるか分からなくなるくらい、どちらの本でも”信じて努力し続けることというのは成功にたどり着くための必須条件である”ということが繰り返し、様々な事例を挙げて紹介されています。

”引き寄せ”は自分にあるかどうかわからない才能や運を、ある意味盲目的に信じて努力するのに対し、”GRIT”では今の自分やその先にある成功を疑うことが努力し続ける原動力になる。

似ているようで真逆。

 

 

整理するとこんな感じ。

”引き寄せ”の道筋:「とにかく成功する」→「成功することは決まってるんだから努力は必ず報われると信じることができ、努力し続ける」→「気づいたら成功」

”GRIT”の道筋:「このままでは成功できないかもしれない、自分には無理かもしれない」→「努力して今の自分を超えていくことが面白いから現状に甘んじずに努力し続ける」→「気づいたら成功」

 

 

あなたは”引き寄せ”派?それとも”GRIT”派?

どちらの思考がしっくりくるか、けっこう人によって別れるんじゃないかなと思うんです。

 

私は引き寄せ本をいくつか読んだけれど、一度もしっくりこなかった。『思考は現実化する』も読みながらも違和感アリアリです。まず、盲目的に成功を信じるということができない。何度トライしても「成功した状態」を自分の気持ちに重ねることができない。

ところが『GRIT』はすごく共感できる。自分も割と似たような道を辿ってきたんじゃないかなという実感もある。今に満足できない、少しずつ自分を変えていくことがとても面白い。そして不思議なことに、それが面白くて努力することでその先に成功があるという考えはとてもすんなりと信じることができます。

 

つまり、私はすでに「その先にある成功」を根拠なく信じているわけです。
ただ、それが「引き寄せ」られるとは思えないけれど、「努力し続けた先にある理想」としては非常にリアルにイメージできる。

 

引き寄せの法則が大流行したので試してみた人も多いんじゃないかと思います。
それで「やーダメだったわー」という人はぜひ『GRIT』読んでみてほしい。

最終的にはどちらも成功を”努力で引き寄せる”のだから。

【タロット】リーディングの時の”視点”の持ち方

タロットカードを使ったリーディングを重ねてきて、「あれ、なんか的外れな答えを出してるな」と思ったとき、なぜその答えを出したのかを相談者の人と一緒に掘り下げさせてもらうと「視点」がズレてたんだなと気づくことがあります。

https://www.instagram.com/p/BPrqUpFFlau/

 

リーディングの時の”視点”には大きく2つの軸があります。
今日はそんなお話。

 

過去・現在・未来という”時間軸”

現実世界での時間は常に過去から未来に向かて不可逆的に流れていきます。
でも記憶や思考の中では、過去のある地点をまるで”今”のように追体験したり、”今”にいながら未来に目を向けるというような、時間軸を超えるようなことが可能です。

リーディングしている自分が過去・現在・未来のどこに立っているのか。

そして、立っている地点から過去・現在・未来のどちらの方向を向いているのか。

現在地点と見る方向の掛け合わせで、リーディングで見えてくる答えがかなり変わってきます。なのでリーディングする際に「今どの地点にいるのかな」「どっちの方向を向いているかな」というのを意識するのがとても大事だと思ってます。

 

誰の立場から見るのかという”立場軸”

物事は誰の視点から見るかによって受ける印象が変わってきます。
リーディングする際にも、今見えているのは自分の視点から見ているのか、他人から見た自分なのか、といったことに気を配る必要があります。

自分(相談者さん)の視点から見ている時により強く感じるのは感情や意識といった内面的なこと。客観的に見えているものを捉えるよりも、目の前で起こる出来事に対してどんなふうに感じるかということにフォーカスが当たります。

他人の視点から見ている時にはその逆で、視野が少し広くなるというか、出来事をエピソードとして全体的に捉えやすくなります。出来事の中で自分がどういう役割を演じているのかとか、他人から見た自分の印象とか、あとは人間関係なんかも他人の視点から見た方がよく見えます。

もう一つ第三の視点として、スピリチュアルな世界ではオーラだとか守護霊だとかっていうようなものから捉えるというのもあります。エピソードそのものでも、それによって動かされる感情でもなく、それをまるっと包括した”なぜそれが起こるのかという必然性”みたいなものが見えることが多いです。

 

第三の視点はものすごく広い視野を与えてくれる反面、いっぺんに見える情報量が多すぎて読み解ききれないことも多い。過去も現在も未来も、自分も他人も、いろんな視点が入り乱れていっぺんに目の前にホログラムのように立ち上る感じで、強いて例えるなら1本の映画を数秒の中にぎゅっとまとめて、マルチスクリーンで立体的にいっぺんに見させられる感じ。映画の様々なシーンが、上下左右と奥行き方向に何枚も重なった半透明のスクリーンに一度に投影されるような感じです。

(でもこれ、あくまで私の場合なので、違う見え方してる人もいるんだろうなぁ。他の人はどういうふうに見えているのかも気になります。)

 

 

第三の視点は、使うのが得意な人と、全然見えないよーという人がいるかもしれません。
でも、時間軸と立場軸というのは必ず使えるはずなので、リーディングする際にちょっと意識してみると面白いと思いますヨ。

 

気づき、きっかけとしてのダイバーシティ

https://www.instagram.com/p/BGTcY5uMqhG/

〜タロット的(逆)ダイバーシティ

一つの宗教的な価値観を守ることを役目とする教皇は、多様な価値観を認めないカード。逆位置では多様な価値観を持つように促すとともに、保守的になりすぎていないか、自分立場を悪用していないか省みるようにというメッセージに。

 

 

ベビーカーと間違えられやすい子ども用車椅子について読んで思ったこと。

www.huffingtonpost.jp

 

配慮が必要なことって、知らないとそこに思いが至らずに、本来ならそれができる人であっても無知からできないことってあります。

想像力を働かせましょう、自分から進んで調べたり勉強しましょう、というのは正論なのですが、自分の日常生活の中に登場しない人やものや概念について想像力を働かせること、調べようと行動することはとても難しい

 

最初の一歩として世の中にそういう事象や概念があるのだと気づくきっかけや、こっちの方向にも目を向けてみましょうという導きがどうしたって必要になる。

 

人間、自分の目に入ってこない世界にまで自発的に想像力を働かせられるほど器用じゃないし、こう言っちゃうと身も蓋もないけど現代人はそれほど暇でもない。だからこそ、より多様な人やものや概念に日常の中で出会えるということは、それだけで気づきや学びが非常に多い人生を送ることにつながると思うのです。

 

そう考えると、ダイバーシティにはただ単に「多様性を認めましょう」「マイノリティを受け入れましょう」みたいな表層的な意味以上があることに気づきます。

 

それは、多様性があるんだということそのものに気づくきっかけを日常の中に作っていくことであり、様々な立場の人が直面する困難を、他人事ではなく身近な人のものとして具体的な想像力を働かせることです。

 

 

アメリカで通った小学校で驚いたのが、人の特徴を説明するのに肌、髪の毛、そして目の色を挙げるということでした。日本にいたら程度の差はあれどだいたいみんな黒髪で茶色い目をしています。でも改めて見てみると、確かにクラスメイトたちは金髪だったり赤い髪だったりしているし、目の色も青、茶色、緑など様々。日本では肌色は文字通り肌色で、自分の肌が世界的に見れば黄色と表現されるなんて思いもよりませんでした。

様々な人種や国籍のバックグラウンドを持つクラスメイトの中で、自分が日本人であることを否応にも意識させられたし、日本人がマイノリティであることを肌で感じました。

スーパーやショッピングモールに行けば、入り口に近い駐車場には必ず車椅子のマークがついていて、日本よりも車椅子を利用している人に遭遇する確率も高かった。そういう人がスロープを利用していたり、車椅子の人が通る間ドアを開けて押さえている人を日常的に見かけていたので、言葉は知らなくても「バリアフリー」的なことを意識していたように思います。

 

 

記事の中でも述べられているように、だからこそシェアしよう、RTしよう、サービス業や交通機関の会社においては研修を通して子ども用車椅子の認知を広げよう、というのは必要であると同時に、そもそも子ども用車椅子の人がもっと普通に出かけていける社会、知識としてだけでなく体験としてその存在を認められるような社会を目指したいです。そしてそういう社会を目指して具体的な活動をしている人のことを応援し、後押しできる自分でありたい。

小学生の私を打ちのめしたメディアリテラシー教育

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こういうことを書いたのですが 

これを書いていて思い出した、印象に残っている学校で受けたメディアリテラシー教育が2つあります。

1つはアメリカの小学校で「バイアス」という言葉と概念を習ったときのこと。
2つ目は大学で受けた「メディアリテラシー」という授業での同級生達の反応のこと。

 

バイアス」という単語を習った日

私はアメリカの現地校に通っていた小学校6年生の時に、初めて「バイアス」という単語を習いました。その概念自体のインパクトと、学校でこういうことを習ったという衝撃と共にこの単語は深く心に刻まれました。

 

私が受けたのは、一つの出来事についてある視点から書かれた文章を読んで感想を述べあった後に、別の視点から同じ出来事についてかかれた文章を読むと全く違う感想になる、という授業でした。

最初に取り上げられたのは「お友達と遊んでいて喧嘩になった」みたいな、子供でも自分ゴト化しやすい事例で、当事者であるAさんとBさんでは言い分が全然違うよ、みたいな話。次に、あるニュースをXとYという異なる立場からそれぞれの切り口で書かれた記事を順番に読んでみる。

そこで、なぜ同じ出来事や事象を語っているのに、受ける印象がこんなに違うんでしょう?という投げかけがあり、それはどんな主張であれその主張にはそれぞれの立場からの「バイアス」がかかるからだよ、という説明がありました。

 

私が「バイアス」という単語とその概念に生まれて初めて出会った瞬間でした。結構難しい単語だと思うんだけど、あの授業で一発で頭に叩き込まれるくらいインパクトありました。

 

世の中のことはほとんどみんなバイアスがかかっている!!!

この衝撃といったら、小学6年生の私をしばらくの間打ちのめすのに十分なインパクトでした。

 

更に進めて色々な記事を読んで「これはBiased(バイアスがかかっている)と思う人?」「どんなバイアスがかかっている?」「Non-biasedにこのことを伝えようとしたら、どういう風にしたら良いと思う?」と進んで行く授業。反対の立場の意見も紹介する、読む際には必ずBiasedじゃないかを意識しながら読む、伝える立場になったときには自分自身がBiasedでないかを意識する、などなど、具体的なテクニックとともに学んでいきます。

そして最後に
「新聞もテレビも雑誌も、人が話すことも、基本的にみんなBiasedです。私たちは見聞きすることにバイアスがかかっているということを忘れてはいけません。」
「話すときにも無自覚にBiasedになりやすいです。」
「Biasedであるということを意識していないと、私たちは簡単に偏った考えを信じてしまいます。」
という風に授業が締めくくられたように記憶しています。

 

時間にしてたかだか1時間だか2時間くらいの、ごくシンプルな授業でした。
でも「バイアス」という概念に初めて出会った小学校6年生の私は、家に帰ってこの授業のことを興奮気味に両親に語り、その後20年以上を経ても鮮明に覚えているくらい印象に残る授業でした。

 

日本でこんな授業受けたことなかった!
という驚きとともに心に深く刻まれ、私が海外生活を体験して本当に良かったと感謝している出来事の一つです。

 

人はいつ「バイアス」とう概念に出会うのか

二つ目は大学生になってから受けた、その名も「メディアリテラシー」という授業。
大学1年生のいわゆる教養科目の一つだったと記憶しています。こちらはもう少し幅広く、メディアを読み解く力を体系的に、そして実践を通じて学ぶという授業でした。

 

ここでより印象に残っているのは、授業内容そのものより周りの学生の反応です。
私が小学生のときに出会ってからずっと頭の片隅に置いて意識をしてきた「BiasedかNon-biasedか」という評価軸に、大学生になって初めて出会う学生がたくさんいたことに何より驚きました。なんとなくそういうものがあると気づいていたけれど、それに「バイアスがかかるということ」という言葉が与えられて概念的に理解できるのは初めて、という学生が多かった印象。

 

私がアメリカの小学校で習ったことに、日本では大学生まで出会うことがないのかという驚き。そして私が通っていた大学はこういうことに関しては先進的な取り組みをしているので非常に有名なところだったので、もしかしてここ以外の大学だとメディアリテラシー的な概念に出会うことすらないまま社会に出る人がたくさんいるのかもしれない、ということに眩暈を覚えたのでした。

と同時に、多様な宗教的・文化的背景を持った様々な人種が寄り集まるアメリカでは、メディアリテラシーを身につけるということが日本よりも重視されているんだろうなと思ったのでした。

 

 

 

でも、トランプ大統領が誕生する経緯を見ていて、アメリカのメディアリテラシー教育って今はどうなっているんだろう?とか、ソーシャルネットワークの時代になって新しいメディアリテラシー教育が必要になってるんだろうな、とか色々頭をよぎりました。

自分の子供には、メディアリテラシーを身につけて情報をしっかりと取捨選択し、いたずらに踊らされない人になってほしいと願っています。

 

脊髄反応で拡散することの怖さ、自戒を込めて

少し前に、小泉進次郎が次のように発言し拍手が湧いたというニュースが、批判の声とともにたくさんシェアされた。

www.sankei.com

悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか

私もおもわず”いいね!”をタップして”シェア”してしまいそうになったけど、ふと「なんか変だぞ」と思って思いとどまった。

残りの6000万人は虐殺だとか、行きすぎた前向き思考が常にポジティブでなければいけないというプレッシャーとなって人を追い込む、といった捉え方をされているようなんだけど、この発言だけを捉えて「自信に満ちてない6000万人は日本にいなくていいよ」と受け止めるのは短絡的すぎやしないだろうか。
だいたい、じゃあ今の人口の半分が将来を楽観し自信に満ちた人なのかというと、そんな根拠も何もない。

 

なんとなくこの言葉だけが一人歩きしている感があってとても気持ち悪い。

 

前後の文脈から切り離された発言が一人歩きしているんじゃないか疑惑

どこかに発言の全文が載ってないかなと思って探してみたのですが、どうも見つからない。唯一、どうも「人口減少を嘆くのをやめよう」という文脈の中で語られたらしいことがかいま見えるのがこちらの記事。

www.huffingtonpost.jp

小泉氏は、東北復興や22世紀の日本についても議論を展開。日本の抱える課題である人口減少についても「もう人口減少を嘆くのを止めませんか?」と語った。「人口が減ったって、やっていけるという自信が大切。将来に悲観する1億2000万人より将来に自信と楽観を持つ6000万人のほうが強い。いつか人口が下げ止まるときがきて、そこから力強い成長がある。人口減少を強みに変えよう」などと大きな展望を語った。

うん。これならすんなりと聞ける。
ただこれは昨年の10月の発言ということで、ニュースになったのは年頭所感だからタイミングがズレてる。逆にいうと、小泉氏がこういう発言をするのは初めてではなくて、一貫してこの主張を繰り返しているとも受け止められる。
そしてこちらも発見。

www.asahi.com

こちらは切り取られた言葉の後に何が語られたかが掲載されてる。

最大の日本の課題は、人口減少と少子化にある。その打開策は、毎年減り続けることを悔やむ発想から早く飛び出して、減る中でもやっていけるという成功例を生み、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むこと。それが結果として将来、人口が下げ止まる環境を作り、新たな日本の発展への道を描く。私はそういう考えでいます。

これ読むと、6000万人に減らそうとか、半分は見捨てるみたいな話では全くないことが分かります。
そしてこの記事は去年9月。同じ発言なのにこの時はなぜ炎上しなかったの?

 

21世紀末には日本の人口は6000万人になるという予想

ちょっと調べてみると、そもそも、このままいくと日本の人口は6000万人くらいに落ち着くよという予測が出ていることを発見。(普通にググっただけで出てくる。)

abematimes.com

この、21世紀末に日本の人口6000万というのは調べると数年前から出ている調査結果のようで、内閣府が出している平成17年度の少子化社会白書の中でも示されている数字。

つまり日本の人口が6000万人くらいになるよというのは、少子化を語る上ではある程度の前提条件となっている共通認識と言えそう。

 

 

つまり小泉氏はこの、21世紀末には日本の人口は6000万人程度にまで減少するという予測をベースに、闇雲に1億2000万人の人口を維持しようとするのではなく、減少していく人口と超高齢化という社会構造を受け入れた上で、そうなった時にいかに前向きな気持ちで日本国民が生活できる状態を作るかを考えましょう!と訴えているにすぎない。

 

普通にすごく現実的で、とても前向きな発言じゃない?

 

ということで、最近忙しくて目にするニュースを検証することもなく脊髄反射でいいねしたりシェアしたりしていたのですが、それをすることの怖さ、そしてそうやって拡散されたニュースを鵜呑みにすることの怖さを改めて実感したのでした。

 

 

今日はちょっぴり真面目なお話でした。

寝ぼけた人は変なところと繋がってる

この間、夜中に子供が盛大に寝ぼけました。

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いきなりダダダダダッと寝ていた部屋から出てきたかと思うと、必死で何かを探してる。「どうしたの?」と聞いても要領を得ない答えを繰り返す。

目はしっかり開いてるのに、なんとなく視線が合わない。

お風呂場を覗き込んで「だって!机とかがないの!!」と若干切れ気味。そして猛然とパジャマを脱いで素っ裸になったかと思ったら床にへたり込んでしまう。

「シャワー浴びるの?汗かいちゃった?」と聞くと、なんかわからないけどシャワー浴びないといけないらしい。仕方ないのでシャワーを温めて浴室に送り込んだ。

 

シャワー浴び始めたら目が覚めたようで、しかしなぜ寝ていたはずなのにいきなりシャワー浴びてるのか理解できず、パニックになって号泣。

 

 

寝ぼけ方が豪快すぎでしょw

 

 

ところで寝ぼけている間、視線が合わない感じと同時に顔がないというか、顔に穴が空いてるように見えててナンダコレーと思ってたんですね。

顔がめり込むようにぽかーっと薄っすら暗くて、糸を引くように後頭部からすーっと、どこかに抜けて繋がってる感じ。

 

寝ぼけてたんだとわかった時に、あぁあれはなんかどっかに行ってたのか、繋がってたのか、そんな感じのまま身体だけ起きちゃってたんだな、と思ったのです。

 

幽体離脱してる間の人とかあんな風に見えるのかもしれない。
根拠ないけど。

【タロットリーディング⑧】ズバリ、私結婚できますか?

少し前ですが、お友達の紹介で直接お会いしたことのない方のリーディングをさせていただきました。

お悩みはズバリ「私、結婚できますか?」

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結婚できるかどうかを見る前に、まずご本人(仮にYさん)がどんな方か拝見させていただきました。

 

引き寄せスプレッドで出たのは自由で奔放な性格を表す愚者(正)、何かを守っている様子を表すペンタクルのクイーン(逆)、そして本当に欲しいものに集中しなさいと教えてくれるカップの10(逆)。

自由で無邪気。興味の赴くまま、頭で考えるよりも本能や直感を信じて行動するYさんの姿が浮かび上がってきます。加えて、何を守っているのか分からないまま漠然と守りに入っている様子がカードに現れています。そして、雑音をシャットアウトし、断捨離をしてミニマムな生活スタイルを送ることで、もう一度自分の期待や欲望に素直に向き合える。

そんなカード。

 

 

さて本題。

 

結婚できる?
という問いに対しては、コインのキング(正)でYes。

結婚したい?
と質問を変えてみると、魔術師(逆)でNo。

 

 

・・・ん?結婚したくないの?

 

 

深掘りしてみると、どうも結婚したらいまの自分を変えなくてはいけないという思いが隠れている様子。と同時に結婚すれば満たされる期待と、結婚したらいま楽しんでいることが楽しめなくなるのではないかという不安が入り混じって、漠然と「結婚しなくちゃいけないと焦ってる状態」だけが続いているらしい。

 

「結婚したい」という気持ちに嘘はないけれど、闇雲にその気持ちで居続けることには少し疲れてしまっているのかな…という印象を受けました。

 

 

そんなYさん、最終的にとてもロマンチックな出会いをしてとてもすてき結婚ができるよ!というメッセージが出たので、結婚に対するイメージを一度リセットすることをオススメしつつ、出会いヒントをお伝えさせていただきました。

 

 

色々とご相談を受けていると、「◯◯したいけどできない」の裏に素直にそうしたいと思えない気持ちが潜んでいることがちょくちょくあります。

そしてその気持ちをお伝えすると、実はみなさんひっそりと気づいていらっしゃるw

 

気づいているけど、それ認めちゃうと身動き取れなくなる気がしていたり、認めるのが悪いことのように感じてしまっていて、見て見ないフリしてる。

 

 

 

そして実はこういう、質問やお悩みに対して本質的な答え(というか迷い)は、直接質問に対してカードを引くよりも、引き寄せスプレッドでご本人のことを見させていただいた時のほうがハッキリ出ることが多いということにも気づきました。
なので最近は、特に初めての方はお悩みに対してカードを引く前に、引き寄せスプレッドをやらせていただくようにしています。

 

 

 

引き寄せスプレッドだけなら10〜20分程度でリーディングできるので、自分のことをもっと知りたい!という方にもオススメです。
とても簡単なので、ご興味ある方はぜひやってみてくださいね。(近々、正式にメニュー化してご依頼も受け付けようと思ってます。その際は改めて告知しますねー。)