The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

だってスピリチュアルとか怪しいんだもん、と思ってる私の葛藤

占いとか超能力とか小さい頃からワクワク、大好き。
神社やお寺でたくさんの神様の存在を感じるとホッとするし、実際なんかそういう人智を超えたパワーみたいなものはあるんだろうなぁと思っている。
霊感ある人は本当に何か見えてるんだろうと思うし、霊的な存在は科学で証明できなくてもなんとなくあるんじゃないかと信じている。

 

 

んだけど!

どうしても「スピリチュアル」っていう名前が着いた途端に胡散臭い気がしてすごく苦手に感じてしまいます。

 

https://www.instagram.com/p/BF2bBuPMqmL/

 

胡散臭さ満点の「魔術師」のカード。妖の術で人に奇跡を見せる。

 

どうやったらスピリチュアルが好きでスピリチュアル体質な自分のことを隠さず、怪しいからと恥ずかしく思わずに自然体でいられるのか?!

 

というのが最近悶々としてることです。

とくに仕事関係で出会った人たちには”仕事モードの自分”とのギャップがあまりに大きいような気がして、どう受け止められるのか(そもそも受け入れてもらえるのか)が不安でよけいコソコソしてしまう。

 

この間タロットの練習会に参加したときに「スピリチュアルな感じ、もう出ちゃってるよ。隠せてると思ってた?」「スピリチュアルな感じがセクシーだし、仕事できそうっていうイメージとも矛盾しないんじゃないかな」と後押ししてもらい、ではどうやってこれを隠さずにやっていこうか、と。

でもなんか勇気出なくてモヤモヤコソコソ。

 

 

モヤモヤしたままコソコソし続けるのも気持ち悪いので、今日はスピリチュアルな私とロジカルな私が喧嘩しないための理論武装を試みてみる。
(本当は理論武装なんて不要なんだろうけど、一度理論で納得したら理論から解放されるという私の思考パターンを見越しての私なりの作戦。めんどくさいな、私。)

 

 

では早速スピリチュアルのどこが苦手か分解するところからスタート! 

 

怪しい

  1. 科学的に証明できないことが多くてどうも胡散臭く感じてしまう
    (そして自分が胡散臭く見られるのが嫌だ)
  2. お金絡むとさらに怪しさが増して、急に詐欺っぽくなってしまう
    (いかがわしく思われるのも胡散臭く見られるのと同様に嫌だ)

 

偉そう

  1. 「目を覚ませ」「私は目覚めた」みたいな上から目線が嫌
    (その「目覚め」がより正しいこと、より良いことなのか腹落ちできないので「目を覚ませ」と言われてもどうしても反発してしまう)
  2. 「こっち側」と「あっち側」みたいに勝手に人を線引きするのが不愉快
    (人間白黒できっぱり割り切れるほど単純じゃないと思うのに、宗教と同じく「信じるもののみ救われる」みたいなのはなんか間違ってるんじゃないかと思う)
  3. 「あなたにも分かる時が来るよ」っていう先輩ヅラにイラっとする
    (2と同様、分かることが今より良いことって決め付けている感じに反感を覚える)
  4. やたらと布教したがる人が苦手
    (何を信じるかは自分で決めたいんです。人から言われると余計に嫌になるんです。天邪鬼なんです。)

 

内輪ウケ

  • 「すでに目覚めている私たち」で盛り上がってる内輪ウケ感が萎える
    (スピリチュアルに限らず、特にSNSなどオープンなところでの内輪ウケは「はいはい自分たちで勝手に盛り上がってね」と、外からみると冷める要因になる気がする。リアルに仲間内で内輪ウケしてる分には全然良いと思います)

 

どうだろう?
改めて書き出してみると、私自身の先入観もかなりあるのが分かる(恥)。

 

じゃあポイントごとになぜそう感じてしまうのか、そう感じる必要があるのか、感じないためにどうすれば良いのかを考えてみます。

 

→怪しい。これはどうやっても怪しい気がしてしまうので、どういう切り口・口調で語るのかっていう点に注意したい。

怪しそうっていうのは、どちらかというと私の先入観かも。

世の中の宗教と名のつくものはみんなスピリチュアル。
スピリチュアルが怪しいとか言ってると全世界20億人のキリスト教徒、12億人のイスラム教徒、8億人のヒンドゥ教徒などなどがみんの怪しい人になってしまう。宗教信じるのとスピリチュアルは何が違うの??

それに最近は人の気配が科学的に解き明かされたり、瞑想の効果も脳科学的に説明されたりしてて、あながちスピリチュアル全部が非科学的ってわけでもなさそう。
そういえば会社でも営業部門には神棚があってお札や熊手が掲げられてたっけ。
中華系の会社だとオフィスの配置や事業のタイミングを風水で決めたりしてるしね。
って考えると非科学的だからNGっていうのは私が思っているだけなのかもしれない。

お金が絡むと怪しさが増すのは「この壺を買いなさい」的な宗教詐欺はもうずっとずっとなくならないわけで、それと一緒にされてはたまらんと思うわけですが…じゃあ私が壺を買わせるような人だと思われているのかっていうと、多分思われていないからそこはあんまり心配しなくていいのかなぁ?

 

→偉そうっていうのは自分の軸をしっかり持っていれば良い。興味があれば素直に学べば良いし、なければ「そういう考え方もあるのね」とスルーすれば良い。

偉そうっていうのは私の個人的な体験に心当たりが。

高校の夏休みの宿題で聖書を読むっていうのがありました。
それまでキリスト教がどちらかというと好きだったのですが、聖書を読んだら一気に苦手になってしまったのね。最大の理由は聖書の中のキリストや信徒たちがものすごーーーく偉そうだったから!キリストを信じないと天国に行けないよっていう選民思想も、人を馬鹿にしてる!とすごく反感を覚えてしまいました。

世界は多様であるほど良いと思うので、こういう「何を信じるか」っていうとても個人的で数値化できないようなことを判断基準にして人間の上下を決めるようなことに対してとても違和感があります。

うーんこれはでも、もしかして私自身がいろんな基準で勝手に自分や他人をランク付けしているからなのかもしれない…反省。

 

→内輪ウケはSNS投稿の特性を意識し、スルー力を身につければ気にならなくなる。

これはSNS上で繰り広げられる縄張り意識やマウンティングの意図が見え隠れする投稿を気にしすぎているのかもしれないですね。

私自身、リアルの場では同じバックグラウンドやサークルの気の合う仲間と内輪話で盛り上がることはよくあるし、逆にそういう人たちばかりの集まりで疎外感を味わうこともあります。

日本ではSNSやブログでの発言をパブリックなものではなく、実は自分の意識上にある特定のメンバーにのみ向けてしている場合が多いので、単純に自分自身のスルー力を身につければ良いだけなのかもしれない。

 

 

 

 

怪しい気持ちを克服する道は一夜にして成らず。

葛藤は続く。