本を読む時に何が見えていますか?
Photo by Pixabay
この間オット君と話していて驚愕した事があった。
曰く、オット君は本を読んでいる時はお話の内容が細部まで映像化されて脳内再生されているらしい。
登場人物たちはそれぞれしっかりと見た目で見分ける事ができ、さらに脳内再生される声もそれぞれ違うとか。
風景などの描写もきっちり映像化されるので、まるで映画を見ているようだ、と言っていた。
だから、映画化された作品なんかは原作を読んだ後に映画を見ると脳内再生された映像とスクリーンに映し出される映像が食い違うので非常に気持ち悪いらしい。
そして映像として見たストーリーなのであらすじはもちろん、細部まで割と細かく覚えている事ができる。
マジで?!
私は小説を読んでいる時、映像も音声も一切浮かんでこない。
なので登場人物が多いお話だと誰が誰だかすぐわからなくなる。外国の名前だったりすると尚更わからなくなり、巻頭の登場人物一覧をしょっちゅう確認しながらストーリーを読み進める事になりとても煩わしい。
文字をなぞるように読んでいるので、物語を細部まで覚えている事は難しいし、なんならあらすじもすぐに忘れるので何度でも同じ小説をまるで初めて読むかのようにワクワクしながら読む事ができる。
そのかわりに本を読んでいる時の私の中に広がるものがある。
登場人物たちの感情や、描き出される場所に宿る空気感のようなもの。
本を読んでいると、悲しいとか嬉しいとか悔しいとか憎いとか愛おしいとか、登場人物たちの心に去来しているであろう様々な感情がそのままダイレクトに洪水のように押し寄せてくる。
絶望的な話だったり、とにかく怒りや悲しみに突き動かされる登場人物がいたりすると、心が追随するように正直に感情を受け取ってしまって猛烈に疲れる。
身体的な痛みも感じてしまうので、登場人物が撃たれたり切られたりすると本当に自分の体が痛いような気がして知らず知らずのうちにものすごく身体に力が入ってしまう。
身も心も寒くなるような荒涼とした場所が舞台だと、荒れて見捨てられたような場所の気配がヒリヒリと感じられる。
それと、私は人の感情とか場所の雰囲気をどうも色とリンクさせて見ているようで、読後の感想が「夕焼けみたいな見事なピンク色のお話だったなぁ」とか「月夜に散歩をしているみたいな紺と銀のコントラストがきれいなストーリーだった」とか、そんな猛烈に曖昧なものになってしまう事が多い。
小説を読み直す時も、ストーリーはほとんど覚えていなくても、その小説が見せてくれた色だけは思い出せたりする。
内容を覚えているかどうかは映像で見ているかどうかとはまた別のことなのかもしれないけれど、それにしたって同じ「本を読む」という行為を通じて、見ている世界がここまで違うことに私は心底びっくりしてしまった。
ということで、他の人が本を読むときに何が見えているのかとても気になります。