The Spare Times  〜人生のスキマ時間を愉しむ〜

バリキャリワーキングマザー、アラフォーにして主婦デビュー。 突然訪れた人生の隙間時間をゆるりと楽しみつつ、次のステップを模索しながら迷走する毎日。最近お仕事再開+ときどきタロット占い師。

小学生の私を打ちのめしたメディアリテラシー教育

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こういうことを書いたのですが 

これを書いていて思い出した、印象に残っている学校で受けたメディアリテラシー教育が2つあります。

1つはアメリカの小学校で「バイアス」という言葉と概念を習ったときのこと。
2つ目は大学で受けた「メディアリテラシー」という授業での同級生達の反応のこと。

 

バイアス」という単語を習った日

私はアメリカの現地校に通っていた小学校6年生の時に、初めて「バイアス」という単語を習いました。その概念自体のインパクトと、学校でこういうことを習ったという衝撃と共にこの単語は深く心に刻まれました。

 

私が受けたのは、一つの出来事についてある視点から書かれた文章を読んで感想を述べあった後に、別の視点から同じ出来事についてかかれた文章を読むと全く違う感想になる、という授業でした。

最初に取り上げられたのは「お友達と遊んでいて喧嘩になった」みたいな、子供でも自分ゴト化しやすい事例で、当事者であるAさんとBさんでは言い分が全然違うよ、みたいな話。次に、あるニュースをXとYという異なる立場からそれぞれの切り口で書かれた記事を順番に読んでみる。

そこで、なぜ同じ出来事や事象を語っているのに、受ける印象がこんなに違うんでしょう?という投げかけがあり、それはどんな主張であれその主張にはそれぞれの立場からの「バイアス」がかかるからだよ、という説明がありました。

 

私が「バイアス」という単語とその概念に生まれて初めて出会った瞬間でした。結構難しい単語だと思うんだけど、あの授業で一発で頭に叩き込まれるくらいインパクトありました。

 

世の中のことはほとんどみんなバイアスがかかっている!!!

この衝撃といったら、小学6年生の私をしばらくの間打ちのめすのに十分なインパクトでした。

 

更に進めて色々な記事を読んで「これはBiased(バイアスがかかっている)と思う人?」「どんなバイアスがかかっている?」「Non-biasedにこのことを伝えようとしたら、どういう風にしたら良いと思う?」と進んで行く授業。反対の立場の意見も紹介する、読む際には必ずBiasedじゃないかを意識しながら読む、伝える立場になったときには自分自身がBiasedでないかを意識する、などなど、具体的なテクニックとともに学んでいきます。

そして最後に
「新聞もテレビも雑誌も、人が話すことも、基本的にみんなBiasedです。私たちは見聞きすることにバイアスがかかっているということを忘れてはいけません。」
「話すときにも無自覚にBiasedになりやすいです。」
「Biasedであるということを意識していないと、私たちは簡単に偏った考えを信じてしまいます。」
という風に授業が締めくくられたように記憶しています。

 

時間にしてたかだか1時間だか2時間くらいの、ごくシンプルな授業でした。
でも「バイアス」という概念に初めて出会った小学校6年生の私は、家に帰ってこの授業のことを興奮気味に両親に語り、その後20年以上を経ても鮮明に覚えているくらい印象に残る授業でした。

 

日本でこんな授業受けたことなかった!
という驚きとともに心に深く刻まれ、私が海外生活を体験して本当に良かったと感謝している出来事の一つです。

 

人はいつ「バイアス」とう概念に出会うのか

二つ目は大学生になってから受けた、その名も「メディアリテラシー」という授業。
大学1年生のいわゆる教養科目の一つだったと記憶しています。こちらはもう少し幅広く、メディアを読み解く力を体系的に、そして実践を通じて学ぶという授業でした。

 

ここでより印象に残っているのは、授業内容そのものより周りの学生の反応です。
私が小学生のときに出会ってからずっと頭の片隅に置いて意識をしてきた「BiasedかNon-biasedか」という評価軸に、大学生になって初めて出会う学生がたくさんいたことに何より驚きました。なんとなくそういうものがあると気づいていたけれど、それに「バイアスがかかるということ」という言葉が与えられて概念的に理解できるのは初めて、という学生が多かった印象。

 

私がアメリカの小学校で習ったことに、日本では大学生まで出会うことがないのかという驚き。そして私が通っていた大学はこういうことに関しては先進的な取り組みをしているので非常に有名なところだったので、もしかしてここ以外の大学だとメディアリテラシー的な概念に出会うことすらないまま社会に出る人がたくさんいるのかもしれない、ということに眩暈を覚えたのでした。

と同時に、多様な宗教的・文化的背景を持った様々な人種が寄り集まるアメリカでは、メディアリテラシーを身につけるということが日本よりも重視されているんだろうなと思ったのでした。

 

 

 

でも、トランプ大統領が誕生する経緯を見ていて、アメリカのメディアリテラシー教育って今はどうなっているんだろう?とか、ソーシャルネットワークの時代になって新しいメディアリテラシー教育が必要になってるんだろうな、とか色々頭をよぎりました。

自分の子供には、メディアリテラシーを身につけて情報をしっかりと取捨選択し、いたずらに踊らされない人になってほしいと願っています。

 

脊髄反応で拡散することの怖さ、自戒を込めて

少し前に、小泉進次郎が次のように発言し拍手が湧いたというニュースが、批判の声とともにたくさんシェアされた。

www.sankei.com

悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか

私もおもわず”いいね!”をタップして”シェア”してしまいそうになったけど、ふと「なんか変だぞ」と思って思いとどまった。

残りの6000万人は虐殺だとか、行きすぎた前向き思考が常にポジティブでなければいけないというプレッシャーとなって人を追い込む、といった捉え方をされているようなんだけど、この発言だけを捉えて「自信に満ちてない6000万人は日本にいなくていいよ」と受け止めるのは短絡的すぎやしないだろうか。
だいたい、じゃあ今の人口の半分が将来を楽観し自信に満ちた人なのかというと、そんな根拠も何もない。

 

なんとなくこの言葉だけが一人歩きしている感があってとても気持ち悪い。

 

前後の文脈から切り離された発言が一人歩きしているんじゃないか疑惑

どこかに発言の全文が載ってないかなと思って探してみたのですが、どうも見つからない。唯一、どうも「人口減少を嘆くのをやめよう」という文脈の中で語られたらしいことがかいま見えるのがこちらの記事。

www.huffingtonpost.jp

小泉氏は、東北復興や22世紀の日本についても議論を展開。日本の抱える課題である人口減少についても「もう人口減少を嘆くのを止めませんか?」と語った。「人口が減ったって、やっていけるという自信が大切。将来に悲観する1億2000万人より将来に自信と楽観を持つ6000万人のほうが強い。いつか人口が下げ止まるときがきて、そこから力強い成長がある。人口減少を強みに変えよう」などと大きな展望を語った。

うん。これならすんなりと聞ける。
ただこれは昨年の10月の発言ということで、ニュースになったのは年頭所感だからタイミングがズレてる。逆にいうと、小泉氏がこういう発言をするのは初めてではなくて、一貫してこの主張を繰り返しているとも受け止められる。
そしてこちらも発見。

www.asahi.com

こちらは切り取られた言葉の後に何が語られたかが掲載されてる。

最大の日本の課題は、人口減少と少子化にある。その打開策は、毎年減り続けることを悔やむ発想から早く飛び出して、減る中でもやっていけるという成功例を生み、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むこと。それが結果として将来、人口が下げ止まる環境を作り、新たな日本の発展への道を描く。私はそういう考えでいます。

これ読むと、6000万人に減らそうとか、半分は見捨てるみたいな話では全くないことが分かります。
そしてこの記事は去年9月。同じ発言なのにこの時はなぜ炎上しなかったの?

 

21世紀末には日本の人口は6000万人になるという予想

ちょっと調べてみると、そもそも、このままいくと日本の人口は6000万人くらいに落ち着くよという予測が出ていることを発見。(普通にググっただけで出てくる。)

abematimes.com

この、21世紀末に日本の人口6000万というのは調べると数年前から出ている調査結果のようで、内閣府が出している平成17年度の少子化社会白書の中でも示されている数字。

つまり日本の人口が6000万人くらいになるよというのは、少子化を語る上ではある程度の前提条件となっている共通認識と言えそう。

 

 

つまり小泉氏はこの、21世紀末には日本の人口は6000万人程度にまで減少するという予測をベースに、闇雲に1億2000万人の人口を維持しようとするのではなく、減少していく人口と超高齢化という社会構造を受け入れた上で、そうなった時にいかに前向きな気持ちで日本国民が生活できる状態を作るかを考えましょう!と訴えているにすぎない。

 

普通にすごく現実的で、とても前向きな発言じゃない?

 

ということで、最近忙しくて目にするニュースを検証することもなく脊髄反射でいいねしたりシェアしたりしていたのですが、それをすることの怖さ、そしてそうやって拡散されたニュースを鵜呑みにすることの怖さを改めて実感したのでした。

 

 

今日はちょっぴり真面目なお話でした。

寝ぼけた人は変なところと繋がってる

この間、夜中に子供が盛大に寝ぼけました。

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いきなりダダダダダッと寝ていた部屋から出てきたかと思うと、必死で何かを探してる。「どうしたの?」と聞いても要領を得ない答えを繰り返す。

目はしっかり開いてるのに、なんとなく視線が合わない。

お風呂場を覗き込んで「だって!机とかがないの!!」と若干切れ気味。そして猛然とパジャマを脱いで素っ裸になったかと思ったら床にへたり込んでしまう。

「シャワー浴びるの?汗かいちゃった?」と聞くと、なんかわからないけどシャワー浴びないといけないらしい。仕方ないのでシャワーを温めて浴室に送り込んだ。

 

シャワー浴び始めたら目が覚めたようで、しかしなぜ寝ていたはずなのにいきなりシャワー浴びてるのか理解できず、パニックになって号泣。

 

 

寝ぼけ方が豪快すぎでしょw

 

 

ところで寝ぼけている間、視線が合わない感じと同時に顔がないというか、顔に穴が空いてるように見えててナンダコレーと思ってたんですね。

顔がめり込むようにぽかーっと薄っすら暗くて、糸を引くように後頭部からすーっと、どこかに抜けて繋がってる感じ。

 

寝ぼけてたんだとわかった時に、あぁあれはなんかどっかに行ってたのか、繋がってたのか、そんな感じのまま身体だけ起きちゃってたんだな、と思ったのです。

 

幽体離脱してる間の人とかあんな風に見えるのかもしれない。
根拠ないけど。

【タロットリーディング⑧】ズバリ、私結婚できますか?

少し前ですが、お友達の紹介で直接お会いしたことのない方のリーディングをさせていただきました。

お悩みはズバリ「私、結婚できますか?」

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結婚できるかどうかを見る前に、まずご本人(仮にYさん)がどんな方か拝見させていただきました。

 

引き寄せスプレッドで出たのは自由で奔放な性格を表す愚者(正)、何かを守っている様子を表すペンタクルのクイーン(逆)、そして本当に欲しいものに集中しなさいと教えてくれるカップの10(逆)。

自由で無邪気。興味の赴くまま、頭で考えるよりも本能や直感を信じて行動するYさんの姿が浮かび上がってきます。加えて、何を守っているのか分からないまま漠然と守りに入っている様子がカードに現れています。そして、雑音をシャットアウトし、断捨離をしてミニマムな生活スタイルを送ることで、もう一度自分の期待や欲望に素直に向き合える。

そんなカード。

 

 

さて本題。

 

結婚できる?
という問いに対しては、コインのキング(正)でYes。

結婚したい?
と質問を変えてみると、魔術師(逆)でNo。

 

 

・・・ん?結婚したくないの?

 

 

深掘りしてみると、どうも結婚したらいまの自分を変えなくてはいけないという思いが隠れている様子。と同時に結婚すれば満たされる期待と、結婚したらいま楽しんでいることが楽しめなくなるのではないかという不安が入り混じって、漠然と「結婚しなくちゃいけないと焦ってる状態」だけが続いているらしい。

 

「結婚したい」という気持ちに嘘はないけれど、闇雲にその気持ちで居続けることには少し疲れてしまっているのかな…という印象を受けました。

 

 

そんなYさん、最終的にとてもロマンチックな出会いをしてとてもすてき結婚ができるよ!というメッセージが出たので、結婚に対するイメージを一度リセットすることをオススメしつつ、出会いヒントをお伝えさせていただきました。

 

 

色々とご相談を受けていると、「◯◯したいけどできない」の裏に素直にそうしたいと思えない気持ちが潜んでいることがちょくちょくあります。

そしてその気持ちをお伝えすると、実はみなさんひっそりと気づいていらっしゃるw

 

気づいているけど、それ認めちゃうと身動き取れなくなる気がしていたり、認めるのが悪いことのように感じてしまっていて、見て見ないフリしてる。

 

 

 

そして実はこういう、質問やお悩みに対して本質的な答え(というか迷い)は、直接質問に対してカードを引くよりも、引き寄せスプレッドでご本人のことを見させていただいた時のほうがハッキリ出ることが多いということにも気づきました。
なので最近は、特に初めての方はお悩みに対してカードを引く前に、引き寄せスプレッドをやらせていただくようにしています。

 

 

 

引き寄せスプレッドだけなら10〜20分程度でリーディングできるので、自分のことをもっと知りたい!という方にもオススメです。
とても簡単なので、ご興味ある方はぜひやってみてくださいね。(近々、正式にメニュー化してご依頼も受け付けようと思ってます。その際は改めて告知しますねー。)

アメリカドラマとディズニーに見るダイバーシティ

娘たちがやっと暑苦しく女の友情と根性論を見せつけてくるプリキュアを卒業してくれてホッとしています。

 

ところで海外ドラマやディズニーチャンネルを見ていてひしひしと感じるのが、アメリカはすっかり白人の国ではなくなろうとしているのだな、ということ。

 

『キャッスル』というNYが舞台の刑事ドラマのとあるエピソードでは、ヒスパニック系のバックグラウンドを持つ刑事がスペイン語で展開されるヒスパニック系のメロドラマにはまっている様子が描かれているし、全米No.1ロングランドラマのNCIS最新シーズンで加わった新メンバーは2人ともいわゆるマイノリティ出身。

もっと言うと『Empire 成功の代償』なんかはヒップホップ音楽界が舞台でキャストはほとんどがアフリカ系。ただし視聴率的な成功という意味ではチャレンジに直面しているらしい。

news.livedoor.com

 

そしてヒスパニック系やアフリカ系などがハリウッドに食い込んで行っているのに対して、アジア系はまだまだ、というところ。

dramanavi.net

 

でもさすがアメリカというか、徐々にエンタメ界でもダイバーシティインクルージョンが進んでいるよという話題も。

kaigai-drama-board.com

 

この流れが子供向けの番組にもきっちりと反映されてきているなと感じるのがディズニー。 

ディズニープリンセスの最新シリーズ『アバローのプリンセス エレナ』はもろにメキシコ系。出てくる音楽や料理、衣装もことごとくメキシコ系で、アメリカ社会で存在感を増しているヒスパニックを意識してるんだろうなぁ。
(純ジャパニーズな子供たちには馴染みのないものがたくさん出てくるので、割と頻繁に「◯◯ってなあに?」となります。良い機会なのでメキシコ料理にチャレンジしたり、ヒスパニック系の文化を知るようなことをやってあげたい。)

 

新作映画でアナ雪を超えたと前評判の高い『モアナと伝説の海』はサモア系。体型も今までのプリンセスものに比べるとふっくら逞しく、健康的。

そもそもアナ雪も「ありのまま」を受け入れようとするという意味でダイバーシティを意識した作品でしたっけ。

 

 

アメリカは広大な田舎なのだけれど、建国の理念を愚直に議論して理想に近づけていく姿は本当に尊敬すべき点だなと思っていたのですが、トランプ大統領登場でどう変わっていくのかが気になります。

そのあたり、大統領選の結果が出る前までの流れを追いかけたこちらが、カジュアルながらも本質を捉えたレポートでとても参考になりました。町山節でサクッと読めちゃうので、通勤時間のお供などに是非。

さらば白人国家アメリカ

さらば白人国家アメリカ

 

 

タロットに聞く2017年③ 東京に住む私たちにとっての2017年(解説編)

以前、しいたけさんがホロスコープを読むのではなく、「自分が今まで会った牡羊座の人とか、牡牛座の人を自分に降ろします。そして「牡羊座の人が感じるように一致するまで」感じようとします」と書いていたのに衝撃を受けたのですが。

 

個人ではなく、特定の集団意識に波長をあわせてリーディングするってどういうことなのか非常に興味があって、無謀にもやってみました。 

 

最初は括りを設けず「2017年、世界は、日本は」的なことをやってみようかとも思ったのですが、マクロとミクロが入り乱れてフォーカスがぶれまくってしまい、ものすごくやりづらい。特定の星座や血液型への絞り込みも試みてみましたが、”◯◯な人の場合””△△という選択をした場合”というように枝分かれする要素が多すぎて、全体としてまとまった言葉に落とすのがとても難しい。
(改めて、スゴイなしいたけさん!!!!!)

 

そして落ち着いたのが「東京に住む”私たち”の2017年」。
敢えて属性を特定せず、自分を基準にしつつも私が属するクラスターや、友人や家族たちなどに徐々にフォーカスを拡げるイメージで個人→集団へと意識する波長を拡大しながらリーディングしてみました。

 

ヘキサグラム・スプレッドで読む「東京に住む私たちの2017年」、解説編です。
うまいこと言おうとしてるわけじゃないのですが、イメージが膨大なので言葉に落としたらすごく長くなってしまいました。(これでも半分くらいに削ってます。)

https://www.instagram.com/p/BOrq3jqlIF3/

①過去:ソードの6(正)(中上)
②現在:魔術師(正)(右下)
③近い将来:ワンドの4(正)(左下)
④対策:女帝(正)(中下)
⑤周囲の状況:教皇(正)(左上)
⑥自分の状況や願望:世界(正)(右上)
⑦最終結果:ソードのナイト(逆)(中央)

 

順番に読み解いてみましょう。

①過去:ソードの6(正)(中上)

暗闇の中、まだ陸地からそう離れていないのは気配でわかるものの、いつその気配が途切れて大海へと漕ぎ出してしまうか不安を抱えたままの航海。航海というほどの距離を行く覚悟はなく、陸伝いに少しずつ移動して行こうと、覚悟を決めきれないままとりあえず出発してしまったという焦り。不安でドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えこみ、密やかに闇に目を凝らす。
心では向かうべき方向が分かっているのに、大きく帆を張って漕ぎ出す勇気が出ない。
でもこのままコソコソと不安から逃げていることはできないということも分かっている。

ここから見えるのは、人々が内側に不安や不満、現状からどうやって逃げ出すか、どうやってよくすれば良いのかを胸の内に秘めたまま、静かに様子を伺っている、という情景です。中にはこの段階で見切り発車のように大海へと漕ぎ出して行った猛者もいますが、大半の人はその顛末を見届けてから漕ぎ出そうとその成り行きを見守っている、といった感じ。


②現在:魔術師(正)(右下)

派手な動きに目を奪われる、本質ではないかもしれないけれど大げさに宣伝される改革が目くらましになる、そんなことを心配したくなるカードです。
と同時に、種を明かしてやろうと目を光らせる人の存在や、自分こそが変革を起こす立場にあるのだと覚悟を決める人の存在も表しています。 

このカードが表すのは、そういった二面性 ーまやかしや誤魔化しが横行すると同時に、それを暴こうという努力が実り、また、真摯に変化を推進しようとする人にスポットライトが当たるー という、前向きだけれど混沌とした状況です。


③近い将来:ワンドの4(正)(左下)

まだ伝説に聞いたことのある理想郷のように遠く実態が掴めないけれど、着実に”開くべき扉”が目の前に現れます
その扉の向こうにあるものが何なのか、多くの人には具体的に想像することはできません。けれども扉の向こうの世界がより望ましい世界で、扉を開けずには先に進むことができないということは心の奥で知っています。
微かな実感があるのに根拠がないので、 思い切って扉を開ける人、それを見守る人、安全が確認されたら後に続こうとする人など、扉を前にして人々の態度は分かれます。


④対策:女帝(正)(中下)

ゆったりと王座に腰掛け、聡く人々の声に耳を傾け、見守り、信じて委ねる女帝の姿があります。
自ら行動すべき時と、人々の手に委ねたほうが良い時と、今がどちらのタイミングなのか、女帝はそれを見極めるべく静かに一人で考えを巡らせます。時に口出ししたくなったり、思いついたアイディアをすぐ実行に移したくなりますが、ぐっとこらえて、衝動ではなく熟考の末に行動すべきだと自らを戒めます。

そしてまたこれは、それぞれの能力や立場に応じて役割が与えられることも意味します。
扉を開く勇気と能力のある人は先陣を切って扉をこじ開け、向こう側の世界がどうなっているか、自分の体験を通して広く人々に知らせる役割を担います。扉の向こうの世界をロジカルに割り出そうと試みる人、扉の周囲を丁寧に観察して向こう側に行くべき根拠を打ち出そうとする人など、それぞれが扉を前に異なる役割を担っていくことになります。そして役割分担することを人々が受け入れ、より得意な人に任せる、自分自身も得意なことに集中するということを意味します。


⑤周囲の状況:教皇(正)(左上)

光に照らされた教皇、その影で噂話をする人々。この絵が示すように、噂話や一見オイシイ話に見える詐欺まがいの情報が浮かんでは消える様子が見えます。

Post-truthというキーワードが欧米メディアで盛んに使われていますが、”一見正しそうに見えるもの”、”正しいと信じたくなる情報”をしっかりと分析したその先にある”第三の選択肢”を見極める賢さが求められる。逆に言えばそれくらい事実と虚構が入り乱れた混沌とした状況が見て取れます。

その中で、”客観的に正しいこと”を選び取る力と同時に”なぜ自分がこれを選ぶのかという基準”を確立していく人も多いでしょう。「正しいから選ぶ」というだけでなく、「正しいけれど今は選ばない」とか、「みんなにとっての正解ではないけれど自分にとってより楽しそうだから選ぶ」という風に、事実を見極めた上で自分の判断軸で選び取っていく人が増えそうです。


⑥自分の状況や願望:世界(正)(右上)

通常は”世界が完成する”ことを意味すると同時に”個性を発揮することで成功につながる”という意味のあるカードです。
東京に住む私たちに当てはめて見てみると、”世界が閉じていくことを横目で眺めている様子”と、”より自分らしくありたいと願う気持ち”が読み取れます。そこにあるのは、新しい価値観への移行期にあって、個人個人が自分の中に矛盾と葛藤を抱え、密かにもがきながら前進しようとする姿です。

”世界が閉じていくことを横目で眺めている様子”というのはいくつかの要素で構成されています。一つが「本当に閉じてしまうのか」と変化を疑問視する気持ち。二つ目は変化がまだ緩やかであるが故に「まだ間に合う」と横目で眺めつつ、まず今は目の前にある日常をしっかり回すほうを優先させる余裕。そして三つ目が、起きている変化を慎重に見極めようとする冷静さです。

”より自分らしくありたいと願う気持ち”があるので、それぞれの人が元々持っている性質によってどの要素が強く出てくるかが変わってきます。そして、自分らしくありたいと強く思うことで、他者が自分らしくありたいと願う気持ちを理解することができるようになります。”共通の理想像を持つ”ことと似ていますが、お互いが違うスタンスで自分のあり方を模索することを、より多くの人が許容できるようになる暗示があります。


⑦最終結果:ソードのナイト(逆)(中央)

声の大きな人がとても目立つ1年になりそうです。一見、そういう人の発言や行動が大きな流れを作っているように見えますが、じっと目を凝らすと派手な動きのその奥に、緩やかだけどもっと着実な流れが見えます

そして、声の大きな人に扇動されて派手な動きも出てくるものの、その流れについていかない人、流されずに自分の信じることを着々と進める人が、来たるべき大きな変革の足場をしっかりと固めていく暗示があります。

同時に、これまでのカードで読み取ってきた通り、流れを利用して軽々と雲を飛び越えていく人、大声に怯んで身動きが取れなくなる人など、個々人の対応にはかなりの差が出そうです。

ただ、この差は一時的なもので、3年〜5年といったスパンで見たときには「そんなこともあったね」と笑って話せる些細なものです。大切なのは他人と比べて自分の行動を決めないこと。状況をしっかりと見極めて、自分のタイミングとペースで進むことです。

 

 

 

 

 

ふぅ、全部書くのに5日ほどかかってしまいました…
以上のようなリーディングをまとめた結果が、こちらのエントリーだったのでした。

 

私個人を占った結果はこっち。

 

一度やったら欲が出てきて、月毎の運勢も出してみたいなとか、仕事恋愛運みたいな分け方で見てみたいなとも思ってます。
ちょうど子供たちがインフルエンザにかかって今週は自宅軟禁確定なので、昼寝している隙にでもチャレンジしてみようかな。 

タロットに聞く2017年② 東京に住む私たちにとっての2017年

自分の2016年と2017年を占ったついでに、いつもと違ったチャレンジをしてみようと思い立って「東京に住む私たちにとっての2017年」という、個人としての私よりも拡大した集団としての私たちに焦点を当てたリーディングをやってみました。


ヘキサグラム・スプレッドで一年をリーディング。 

https://www.instagram.com/p/BOrq3jqlIF3/

理想についてのイメージを多くの人が共感とともに共有できるようになる

まず全体として、今まで心の中に秘めつつも声に出していなかった不安を、より多くの人と共感とともに共有できるようになる、実現したい世界やあり方についての共通のイメージをより多くの人が持つようになる、という社会の動きがありそうです。

メディアで取り上げられたり、政府によって示されるイメージに一気に共感するというのではなく、自分や身の回りの人が「これは私たちの目指す姿だ」と思えるような理想像を持ち、恐る恐る周囲の人とそれを共有するうちに大きな共通項としての理想像が出来上がっていく。
そんなイメージです。

 

面白いのは、この”共通項としての理想像”は一つのイメージだけで固まっているのではなく、たくさんの違った理想像の寄せ集めであるにもかかわらず、俯瞰してみると一定の方向性なり軸なりを持っているという点です。
2016年はダイバーシティ大流行りでしたが、これがみんなの共通の理想像にも反映されるということかもしれません。
お互いの理想をそっと共有してみると、「それもいいね」と案外すんなりと受け入れてもらえる。それを繰り返すうちに許容しあえる領域が広がっていくという、寛容のうねりが起こりそうです。

 

一方で理想への道のりはまだ遠い

多くの人が共通した理想をイメージできるようになると同時に、人々を混乱させるような噂話や根拠のない情報も後を絶ちません。2016年から続く傾向ですが、こうした情報は悩みの中にいる人、意地を張っている人にとっては、本当に向き合いたい問題から目を背けさせ、定まりつつある舵の方向を引き戻すネガティブな作用をもたらします。

また、こうした情報を意図的に利用して変化を遅らせようとする動きも出てくるでしょう。私たちは常に賢くあろうと注意深く観察し、まやかしや目くらましに、より一層注意を払う必要があります。

それでもデマや誤った情報によって、大きく舵を切ろうとする力が一時的に逆方向に引っ張られてしまったり、スピードダウンを余儀なくされるという場面が多々ありそうです。

 

目を凝らし、夜明けを待つ

多くの人にとって、頭を上げ、前を見続ける覚悟と勇気が試される一年になりそうです。恐ろしげな動物の鳴き声が聞こえ、強い風に砂が煽られて飛んでくる中、目を凝らして夜が明けるのをじっと待つような忍耐力が必要です。

決してラクな状況ではありませんが、確実に夜が明け、新しい朝がやってくるのが分かっているからこそ、その夜明けを見逃したくないという気持ちから、人々は薄闇に目を凝らすのです。

チャレンジングな状況の中でも勇気と好奇心から闇に目を凝らすのは、多くの人が”世界が変化している”という実感を持ちはじめるからかもしれません。2016年の後半からこのような変化を自分のこととして捉え、体感しているという人も多いのではないでしょうか。

 
「世界が閉じていく感覚」と「新しい世界への期待と抵抗」

理想のイメージが共有されていくにつれ、今自分たちが生きている世界が閉じていくことが実感できるようになってきそうです。それは新しい世界の始まりでもあるのですが、文字通り世界観が変わるような価値観の転換がやってきます。

この価値観の転換をワクワクした気分で受け入れて積極的に飛び込んでいく人と、今の価値観にも大きな意味を置いているので変化に対して慎重になる人とに分かれそう。この分断は一時的なものではありますが、双方に「なぜ一緒についてきてくれないんだろう」「なんで今を否定されなくてはいけないんだろう」という、同じペースで歩み続けることができない寂しさを感じさせるものにはなりそうです。

新しい価値観への転換に躊躇する人の多くも、その転換が避けられないものであるということは心のどこかで感じているようです。なので積極派と慎重派の間の分断は一時的なもので、もっとずっと心の奥では大切なつながりを維持することができそうです。

 

それぞれに得意なことにフォーカスし、相手を尊重してエールを送る

今年一年に限定してみると、一つ前のポイントで挙げたように、積極的に変化に飛び込もうとする人と、様子を見てから進もうとする人、そして変化を受け入れるまでに時間がかかる人に分かれそうです。それぞれの進むペースは違うのでお互い遠くに離れるような感覚を覚えるかもしれませんが、3年や5年といったスパンで見ると距離の差は縮まっていきます。
なので今年一年で大切なのは、ペースの違う相手を慮りすぎて自分のペースが乱れるよりも、しっかりと自分のペースを見極めて前を見て進む、ということです。つまり、空気を読みすぎないことがとても大切になりそうです。

言い換えると、今年一年は立場や能力の違う人たちが、それぞれの得意なことを自分の役割と定めて進む年です。そして大切なのは、お互いに得意なことが違うのだということを認識した上で、自分を卑下することなく、それぞれの得意分野で能力を発揮する人を積極的に応援するということです。

今年一年に対する対策のカードに「女帝」が出ています。
人々の声に耳を傾け、じっと一人で考える。
見守り、信じて、委ねる。

立場を超えてお互いを尊重し、素直に相手を応援する気持ちになれる気配がするというのが、今年一年の最大の希望となりそうです。

 

 

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さてさて。いかがでしたか?

初めてのチャレンジだったので出来事を予測するというより、より得意とする”私たちの感情の変化”にフォーカスして読んでみました。
言葉に落とし込み切れていないもの、上手な表現を見つけられなかったこともたくさんありますが、今の私にしては頑張りました。抽象的すぎるかなぁと思いつつも、個人ではなく不特定多数に当てはめようとするとなかなか具体的な言葉に落とすのは難しい。

今回リーディングした”感情のうねり”から逆算するように、毎月のテーマや出来事に落とし込むようなリーディングもしてみたら面白そう。余裕ができたらチャレンジしてみたいと思います。

 

 

解説編に続きます。

thesparetimes.hatenablog.com