モーレツ?バリキャリ?ゆるキャリ?どれも違う…
日本の長時間労働と、主にホワイトカラーの生産性の低さはもう耳タコなほど言われていますが、そこに斬り込む新たなニュースが私のFBウォールを賑わせています。
ワーキングマザーや小さいお子さんを持つお父さんがお友達に多いこともあって、この手のニュースが出ると一斉にFBでシェアされていて、様々な反応を見ているだけでも面白い。
もはや意味をなしていない36協定に、今度こそ実効性を持たせようという動き、と理解して良いのでしょうか。一ヶ月の残業時間に上限を設定し、ニュース本文では言及されていませんがどうやら罰則規定を設ける事も検討されている様子。
基本的には、人間はしてみないと実感を伴って想像力を働かせることができないので、ある程度強制力を持って新しい働き方を多くの人に体験させることには意味があると思っています。
ただ、長時間労働の是正が”新しい働き方”の文脈で一括りに語られるのを見ると、まだまだ道半ばだなと感じます。
たとえば安倍総理が働き方改革実現推進室の開所式の訓示で語った「『モーレツ社員』の考え方が否定される日本にしていきたい」とう言葉。
この言葉を言葉尻だけでとらえずに正しく理解するためには、前後の文脈も含めて慎重に総理の言葉を読み解く必要があるとは思いますが、引用されたこの部分だけを取り上げてしまうと大きな違和感を感じます。
私は今は長時間モーレツ労働することはできません。
でも必要があれば家でも子供が寝た後にガッツリ仕事しますし、イベントやリリースの前に徹夜を重ねてでもベストなクオリティに持っていくことにやりがいと喜びを感じます。(といっても歳なのかもう徹夜とか本当に無理ですけどね…。)
モーレツに働く一部の社員が組織を支えてくれているとも思っているし、そんな風に仕事に打ち込める人を羨ましく思うこともあります。(強制されて長時間労働しているのは論外ですが。)長時間労働が今の私を育ててくれたし、長時間労働した時期があったからこそ生産性を上げる働き方を試行錯誤することもできています。
総理の言葉に感じる違和感、それはつまり”モーレツ社員”が一律に否定されてしまうことへの違和感です。
モーレツだろうが、バリキャリだろうが、ゆるキャリだろうが、みんながお互いを否定することなく尊重しあえる社会というのが目指すべき姿のはずで、モーレツ社員を否定することが”働き方改革”ではないはずなんですよいね。
育ち盛りの独身若手も、
子育て真っ盛りのワーキングマザーも、
介護問題に直面している管理職も、
キャリアアップのために勉強したい人も、
仕事は生活のためと割り切ってプライベートを楽しみたい人も、
仕事こそ人生とばかりに情熱を傾けて仕事に打ち込んでいる人も、
そしてこんな陳腐な例に当てはまらないような多様な働き方、考え方を持ち、様々な事情を抱えている人たちがお互いを否定しあう社会は、決して目指すところではないはず。
ニュースをよく読むと安倍総理は実際には以下のように発言されているようです。
首相は「世の中から非正規という言葉を一掃していく。長時間労働を自慢する社会を変えていく」と強調。「働き方改革は最大のチャレンジ。大変困難を伴うが、私も先頭に立って取り組む」と決意を表明した。
長時間労働が自慢にならない社会、であれば若干マシな気がします。
ただ、総理大臣という立場上、語った言葉のどこが切り取られるか分からないという怖さと、発した言葉が持つ影響力という点はぜひ意識していただきたい。
モーレツ社員”全員”が一律に否定されない、モーレツ社員”だけ”が自慢にならない、というダイバーシティな視点からの発言がもっと増えてくれるといいなぁ、と思います。
翻って最初の残業規制強化のニュース。
強制力を持って一律に残業時間が制限されることで、長時間労働が強制されたものではなく望む人にとっての権利であり、その労働が生み出す成果に対して評価と報酬が正当に与えられるよになると良いのかなと思います。
なんていうと、残業代のために望んで長時間労働するんだ、なんていう人がゾロゾロ現れてきそうでそれもまた悩ましい問題なのですが…
そろそろ、モーレツとかバリキャリとかゆるキャリとかワーママとか、言葉を当てはめて一律に同じ価値観で計ろうとすることから脱却したいです。